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より心に響いたアメイジング・グレイス。【334目】

友人の母の告別式に参列。

式に行く前、
用事のため実家に寄る。

私の服装が真っ黒なため、
母から「誰の告別式なの?」と
聞かれた。

〇〇の〜と伝えると
私の母の同窓だということで
大変驚き悲しんでいました。

私の子供と友人の子供は、
学年は違えど
2年前までは同じ少年野球のチーム。

そして、最近では
私らと同じく親子で釣りにハマり、
情報共有はもちろん、
親子で何度か一緒にいきました。

そして、

勝手ながら、その時々の時間が
私の母とリンクするのでした。

孫の野球の試合結果を
共に喜び悲しみ、
大物が釣れたとなれば
これまた喜び・・・

きっと友人の母も
そうだったのでは・・・

と。

そう思うほどに
参列しながら
涙が止まりません。

そして、

友人母が好きだったという
アメイジンググレイスが
讃美歌として歌われる。

私も好きな曲である。

明るい由来を持つ歌では
ないけれど色々と紐付き、
心に沁みました。

奴隷を拉致して船で運ぶ商人が
突然の嵐に見舞われ、
九死に一生を得た。

商人はこの出来事を
神の御加護と捉え、
その後、牧師になった。

牧師になりしばらくして、
奴隷商人時代の罪を償い、
生かされている事への感謝を
込めて書かれた歌。

アメリカで最も歌われた曲
だとも言われます。

私はこれまで、
両親に大変な苦労を
かけてきたと思っています。

犯罪系ではありませんよ、
ごく一般的なあるある話です。

その罪を償うと言えば、
超大袈裟ですが、
何かしらの親孝行はしたい
「気持ち」は強いです。

親孝行に関しては、
誰もがそう思うはず。

ただ、

いつかきっと・・・の
親孝行は「今」なんだと
思いました。

頑張って仕事して〜
いつか旅行に連れて行って〜
などはできれば素晴らしい。

数々の思い出を残す事ができます。

これとは別で「今」を
見せる事も大切だと思いました。

そして、できれば
多少恥ずかしくても
感謝を伝える事ができるか。

とはいえ、

私は、両親に面と向かって
感謝を伝えた事などありません。。

両親だけでなく、
年初めに亡くなった
おばぁにさえも
できませんでした。

だからこそ、

言葉は悪いのですが、
私は子供(孫)を使ってでも
「今」を見せることで
出来事や喜びを共有する。

その数(回数)をどれだけ
重ねる事ができるか。

リアルでなくとも、
今はスマホが互いの距離を
簡単に縮める時代。

写真や動画はサクッと届くし、
ビデオ通話も楽々。

そんな時代だからこそ、
やろうと思えばいくらでも
なんです。

やろうと思えば・・・も
クセモノですが。。

そんなこんなを
考えさせられた時間。

人生は有限である。
だからこそは人それぞれ。

色々な事をひっくるめても、
私たち1人ひとりの存在自体が

アメイジング・グレイス
(素晴らしき神の恵み)
だと思いました。

友人母へ安らかな眠りを
お祈り申し上げます。

ありがとうございました。

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