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##09 上手な受け取り方

カタカタカタってなくセミいますか?今外で鳴いているのはどなたでしょうか?都会に引っ越したと言っても周りが自然豊かで、セミにも色々種類があるんだな〜と至極当前なことを考えている今日この頃。またまた変なことを思い出しました。

1年と少し前、知人に教えてもらい小さい本屋に訪れたことがありました。こじんまりした店内には、手前に大型書店でよく見る雑誌や小説、それから本屋好きのための本屋についての本、一段上がると、小中学生向けの本がずらっと並べられ、向かいには美術本、その隣には料理や紅茶などについて、その隣には今話題のビジネス・自己啓発本、その奥には政治・経済・社会情勢…とまぁ、とにかく良い本屋なのです。

そこでたまたま見つけた、新しい趣味を親切に提案してくれている雑誌を2冊ほど手に取り、お会計をしていたところ、お店の方からあるご提案を受けました。どうやら毎月仕入れる女性雑誌の付録がいつも余ってしまうらしく、珍しく若めの女性が来たのでもし良かったら貰って欲しい、とのこと。若めの女性である私めはそれをとてもありがたく頂いたのですが、何やらあまりに私が嬉しそうな反応をするのでせっかくならこれもと、もう1つ別の付録も頂いてしまいました。それ自体は別になんの問題もないのですが、帰りの車の中でついつい考え込んでしまいました。

本当に欲しいものは1個なのに、どうしてそこまで欲しくないものは2個もらえるんだろう。(失礼)

子供の頃は親について回ることが多かったので大人に囲まれる時間が長く、何かを頂いたりやってもらったりと、受け取ることがよくありました。今思えばその頃から、本当に欲しいものは1個、そうでもないものはそれ以上というのが多かった気がします。それでこれだという答えが一つ思い浮かびました。

私はなんというか、昔から自分の考えや思っていることを人様に察せられるのがとても恥ずかしいと思うところがありまして。というのも家族がとても厳しく、何か話すと母からは「そんなふうに思うあなたがおかしい」というようなことを言われ、時に兄からは「分かりやすく泣いたり喜んだりするのは相手に失礼」と言われたりと、今考えればうーん?と思うようなことをよく言われておりました。ですが子供の私は真に受けて、段々と本音を隠すようになったり、感情表現をうまく出来なくなりました。

大人になるにつれて理解ある友人に出会ったり、感情表現の大切さは生きてれば分かってくるものなので、特段問題はありませんが、ごくたま〜に意図して感情を隠したりもしくは必要以上に表現したりと、行きすぎると自分の本音とは反対の行為をしてしまうことがあります。

今回の本屋がそのパターンだと思うのです。付録を頂いたのはありがたいことでした。ただ、めちゃくちゃ嬉しいかというとそうでもないですよね。だってめちゃくちゃ嬉しいものだったら自分で買ってるもの。私の本音は「ラッキー☆」くらいだったと思います。ただ、私はその時、最大限の笑顔でやったー!!と喜びました。曖昧な感じを見せてしまうとお店の方に失礼だと思ったので。それで相手は「そんなに喜んでくれるなら…」と追加でくれたのです。

ということは、いつも1つしかもらえない「本当に欲しいもの」はそこまでの反応を私が見せていないということになります。もしも、最大限の笑顔でやったー!!と喜んだなら、2つ目がもらえるかもしれません。なぜその反応が容易にできる時とそうでない時があるのか。おそらく本当に欲しかったからこそ、喜んでいることを表現するとなんだかハシタナイと感じてしまうから。

でもそれって相手に対して失礼かもしれません。そして自分に対してもあまり上手なやり方じゃないですよね?自分では変わったと思っていたことでも、子供の頃のちょっとした仕草や反応は、意識しないとなかなか変えることは難しい。たまに頭をよぎる、どうしてこんなこと言ってしまったんだろう、あんな反応をしてしまったんだろう…というのは、実はそういうところから来ているのかもしれません。みなさんも「自分って変わらないな」って思うことありますか?

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