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それは勉強だろうか

まだ諦めるのは早い。
それは本当に勉強かい?


自分は勉強が苦手。
そう思っていた。

小学生の時は天才と持て囃され。
中学生の時は秀才としてブイブイ言わせ。
高校生の時は凡才らしく平凡に過ごし。
大学の時はいつの間にかどんくさい。

スタートダッシュこそ完璧だったものの、
その後のフォームや体力は難ありだったようだ。

しかし、よく考えてみた。
自分が苦手なのは本当に「勉強」なのかと。

確かに、勉強のアウトプットである学力という意味であれば年々右肩下がりである。
その理由は、取り入れないといけない分野、知識量が増えたから。

例えば、小学生の頃の勉強といえば国語、算数、理科など科目が大まかである。
幅広い物事について学ぶため、それぞれの科目についての学習深度は深くない。
しかし、学年が上がるにつれて、各科目の専門性は深まる。
単に理科といえど、物理、化学、生物などに科目は分かれ、さらに細分化されていく。

つまり、一つのトピックについて深みを目指すことになる。
大抵の場合、深みを目指すほどに内容は難解になっていく。
表面の部分はとっつき易く、自分に落とし込むのは簡単だが、潜れば潜るほどとっつき辛く、落とし込むのに根気が必要になる。

つまり反復した学習、「勉強」というよりも「練習」の側面が強くなる。
おそらく、自分はこの「練習」が苦手なのだ。

自分は色々なことを調べるのが好きだし、
自分で言うのもあれだが、色々なことを知っている。
しかし、その色々なことを突き詰めるというより、色々なことの表面をつまみ食いしているようなものだ。

1つのトピックについて100%の理解度を目指すのでなく、100のトピックについて1%の理解度を目指す。

極端に言えばこうなる。

だから自分は勉強が苦手なのではない。
むしろ勉強することは得意だ。
苦手なのはその先の練習なのだ。

今回、「勉強」というテーマにフォーカスしたことによって、自分の性質を考え直すことができた。
これも言わば勉強のようなものだ。

ほら、やっぱり自分は勉強が得意じゃないか。

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