くよくよしたっていいじゃない

最近くよくよすることが多くて、自分でも自分が手に負えない時もあったので書き出すことにした。

それにしてもこんなにくよくよしてもいいのかな人って…のレベルでくよくよしていた(いる)ので、気持ち悪い自分の記録と「自分がこう思っている」ということを上手く話したり伝えたりするのに苦手意識もあり、言葉に出す練習も兼ねて。

2019年、自分にとって新しいスタートだった。

仕事を辞めた、引っ越しをした。大きくはこの2つ。

仕事を辞めたのはここで区切りだと自分で思っていたから。それと創作の時間をきちんと確保するため。引っ越ししたのは退職に伴ってせざるを得なかったから。

仕事を辞めることに後悔も後ろ髪引かれる思いも何もしなかったけど、辞めてみるとすぐそばに静寂があり自分と向き合う時間が過剰に無限に見えて急に怖くなる。ネームは描けない。

SNSを見ると新生活を楽しみにしている人、新社会人のキラキラ感、サクラのうつくしみ、新年度を意気込むパワフルな雰囲気、令和に向かってアプデしようとしている世間、全部が駆け足に見えて自分はぽつんと置いて行かれている気分。

親友が子どもを産むって、ギリ平成っ子か令和元年の子になるかもしれない。マタニティブルーとか、いまのところないよって。私はマタニティでもないのになぜか深い悲しみみたいなのの中にいる。

命がけで子どもこれから産むよって子に半泣きで不安をぶちまける。

大丈夫だよ~の声が優しい。どうにかするのは自分でしかないって分かってるんだけど、このなんとも言えない淀んだ気持ちを吐き出さずにはいられないし、吐き出したとて爽快になるわけでもない。人にぐずぐずになる自分に嫌気が差すけど、一人でいてじっとしてると腐りそうになる。

自分で選んで決めた道なのに、出だしからなんでこんなに停滞してるんだろう?って何回自分に訊いても答えが出ない。こんな春は本当に無理です。

でもツイッターを眺めてると、10回に1回くらいくよくよしている人を見る。新しい生活に虚無と孤独を抱える人、1年前のそんな自分を懐かしんでる人、うまくいかねえとくよくよしている人、いつも強めでぐんぐん前に進んでいそうで向かうとこ負けなしスタイルなのに「今日は泣いてる」とつぶやいて数分後にツイ消しするギャル。みんな楽しいことばっかりじゃない。

そう思うと、なんとなく自分だけじゃないんだなと感じるしみんなそれぞれ頑張ってるんだなと自分の慰めにもなる気がする。やすっぽいね。

でも怖いのは前に進んでるからだって思いたい。快適で、ぬるい風のなか過ごしやすくしてるのは確かに心地よかった。

でも、 ”メメントモリ” いつかかならず死ぬことを忘れるな

これを聞いてから、気持ちも焦って逸って前のめって走ってきた。この選択は間違ってたかな、正しかったかな、はやっぱり自分でしか決められないと思うから。今日の昨日の、4月の私がきっと「はあ~まあ色々あったわ!でもなんとか生きてるしオッケー◎」って思えるように、いまはなかなか味わうことができないこの深い暗い感じを噛みしめたらいいのかな。

答え出ないね

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