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「わたナギ」をみて、親子の関係について考えた


 少し前の話題だが、TBS系ドラマわたナギこと「私の家政婦ナギサさん」が、9月に最終回を迎えた。最終回の視聴率は19.6%を記録し、”ナギロス”なる言葉までうまれ、テレビでは視聴率が取れないと言われるここ最近の中で大ヒットといえる作品となった。私は、昨年放送されたNHKドラマ10「これは経費で落ちません」を見て以来多部未華子ちゃんが好きになり、毎週楽しみに観ていた。

 まずはじめにドラマについての説明を(以下公式HPより拝借)。

 ”物語の主人公・相原メイ(あいはら・めい)は、製薬会社のMRとしてバリバリ働くキャリアウーマン。仕事は誰よりもできるのに、家事は苦手な生活力ゼロのアラサー独身女子だ。そんなメイの28歳の誕生日の夜、家に帰ると見たことのないエプロン姿のおじさん・鴫野ナギサ(しぎの・なぎさ)が突然現れる。おじさんの正体は、料理・洗濯・掃除といった家事全般をパーフェクトにこなすスーパー家政夫だった!
見ず知らずの男性、ましてやおじさんが家にいるなんて絶対イヤ! と最初は拒むメイだったが、共に時間を過ごす中で、いつしかナギサさんの存在に安らぎや温かみを感じていく。
そんな中、仕事ではメイの前に強力なライバル・田所優太(たどころ・ゆうた)が出現する。この強敵を前に、成績優秀で負け知らずだったメイは大ピンチに。しかし田所は、メイの警戒心をよそに爽やかにメイに急接近! 田所によってメイは仕事も恋も振り回されていく――!?”

 このドラマがヒットした要因は、多部未華子と大森南朋がバッチリ役にハマっていることだと思う。嫌味のない自然な演技で、観ていて気持ちが良い。そしてなにより、ナギサさんを演じる大森南朋の、普段のダンディなイメージと、ナギサさんの癒し系キャラクターとのギャップにやられた。最終回終了後、世間様と同様に私も"ナギロス"となり、録画していた第1話から全て見返し、ナギサさんにおじキュンしていた。

 しかしそこで、妙に気になった一言がある。早速ネタバレだが、メイは最終回の直前、ナギサさんに「結婚しませんか」と告白する。そして最終回でナギサさんがメイの告白に返事(OK)をするのだが、そこでナギサさんは「あなたは、私の”お母さんになりたい”という夢まで叶えてくれました」と言ったのだ。はて、ナギサさんは最初から結婚してメイのお母さんになるつもりなのだろうか。「恥ずかしながら、私もあなたのことが好きみたいです」という気持ちは、恋愛感情ではなく子どもに対する愛情なのか。そもそも、メイの「ナギサさんがいない生活なんて考えられない」から結婚してほしいという気持ちは、どういう感情か。本当に恋愛感情なのか。ここを深く掘り下げてみたいと思った。

 メイはなぜ、求愛されていたイケメン田所ではなく、おじさん家政婦ナギサさんと結婚したのか。この疑問に私なりの答えを出すために、まずメイの過去から探っていく。

 メイは両親・妹の4人家族の長女だ。母親は結婚しても仕事を続けたかったが夫に反対されて退職。おまけに子どもたちがまだ幼稚園生の頃、夫が病気になり仕事ができず大変な思いをした期間があった。そんな自分の後悔や苦労を子どもたちに味あわせたくない、そんな思いから子どもたちには常に「仕事をもちなさい」「一片の悔いのない人生を」「メイならできる」と、メイ曰く”呪いの言葉”をかけ続けていた。私はそこに、最近よく聞く”毒親”に近いものを感じた。

 毒親とは、明確な定義はないものの、一般的に”子どもを支配したり、価値観の押し付けや過干渉によって、子どもにとって毒になる親”のことを言う。虐待や育児放棄など、程度の思い毒親に限らず、メイの母親のように、子どもの個性を認めず、自分の価値観だけを押し付けるような親も、”マイルドな毒親”と言えるだろう。毒親に育てられた子どもは、大人になっても親からの影響を拭きれないことが多く、そこから生まれる悩みを背負い続ける人も少なくないという。メイも、母親からの影響を多分に受け、男子にも負けないよう仕事に精一杯取り組むキャリアウーマンになっている。

 メイは小さい時から、母親から(母親が喜ぶことをして)認められたい、そうでなければ愛してくれないのではないか、という不安を常に持っていたのではないか。認められたい、愛されたいという気持ちが、(本人には無意識だとしても)いつしか自分の行動を縛り、さらにはメイの人格を形成していった。第1話の夢のシーンで、幼いメイが去っていく母親に「行かないで」とせがむシーン、あれこそメイの深層心理を映し出したものだろう。その満たされなかった母親への思いに応えてくれる人を、心のどこかでいつも探していた、そこに現れたのがナギサさんだ。

 第二話、まだまだ母親に「仕事も家事も出来るようにならなきゃ。メイなら出来る」と呪いをかけられ、頑張りすぎて体調を崩したメイ。母親が付き添うが、家事が全くできないので何をしていいのか分からず、ナギサさんに「あの子に必要なのは、私じゃなくあなた」と助けを求める。そんな母にナギサさんは「メイさんに必要なのはお母さん。出来るところだけじゃなく、出来ないところも見てあげてください」と優しく諭した。そうして母は、”家事の出来ないメイ”も認めてくれるようになったのだ。

 最初はナギサさんを拒絶していたメイだが、その安心感に心からほっとする自分に気づくのに、そう時間はかからなかった。その後、ナギサさんがメイの”母代わり”として週2回の家事代行サービスをするようになり、メイの生活と、精神状態までも格段に安定する。そしてメイは第5話で「お母さんからかけられた呪いの言葉、今はご馳走にさせてもらっています」とまで言えるほど、母親との関係を自分の中できちんと消化できるようになったのだ。その後、仕事先の先生にプロポーズされたり、同業他社エースのイケメン田所から積極的にアプローチをかけられたが、メイはどちらにも振り向くことはなく、ナギサさんと結婚した。

 メイがナギサさんを結婚相手に選んだのは、母親が”できない自分”も認めてくれるようになってからなので、母親からの価値観押し付けのない上で、メイが自分の意思で選択したといえるかもしれない。しかし、幼少期から植え付けられた”母親から愛されたい”欲求は、メイの行動や考え方(=人格)の土台となってしまっている。メイは根本的に、”母親から(無条件に)愛された”、”母親に甘えた”という気持ちが足りていなかった。その満たされなかった母親への思いに、”母代わり”として応えてくれたのがナギサさん。だからメイは、自分をいち女性として愛してくれる田所さんではなく、〝母代わり″として、自分の気持ちを受け止めてくれるナギサさんを人生の伴侶とした。メイの母を求める強い気持ちが、田所ではなくナギサさんを選ばせたのだ。

 逆にいえば、母親の愛が満たされていれば、メイは田所を選んだ可能性も十分あったのではないか。そう思うと、メイは母親の影響で、一般的に異性に求めるものとは違った恋愛しかできなかったということになる(一般的に異性に求めるものは何かとなるとこれまた人によって様々で一様には括れないけれど、ここでは自分をいち女性として愛してくれること、とする)。これは、男性の場合にも当てはまるようだ。母親の愛が足りないまま成長すると、母親に似た人を結婚相手に選ぶことが多い、と聞いたことがある。メイがナギサさんを選んだのは、自分自身で決めたことであるが、その意思決定をしたメイの考え方の隅々にまで、母親の影響があることには間違いない。もちろん、母親以外からの影響もたくさん受けているし、それだけが原因ではないのであろうが、母親が子どもの人生に与える影響は、良い意味でも悪い意味でも本当に大きいものなのだと、改めて痛感した。

 メイの母親のような親(マイルドな毒親)は、実は結構多いと思う。意識していなくても、子どもに自分の価値観を押し付けてしまっているような場面が、誰でも一つや二つ思い当たることだろう。”こどもは一人の人間なんだから、その子の人格を尊重しよう”ということは、わかってはいるけれど、自分が出来ないこと・苦手なことは、子どもには出来るようになってほしいという思いが先行してしまうこともある。そして、子どもがそれを出来ないと、自分のこと以上にイライラしたりする。しかしこれって、子どもにとっては何のメリットもないこと。メイは、期待に応えるために頑張り続けられる器を持った子だから良かったが、その器の大きさは人それぞれで、小さくて受け止めきれない子だって多いはずだ。そんな子は頑張りきれずにいつか壊れてしまう。メイですら、仕事をライバルに取られて負けた時、「仕事が出来ない私なんて、需要ありません」と言って泣いていたが、ナギサさんがそばにいなかったら、たった一つの挫折で自分の存在価値を自分自身で肯定することができず、壊れてしまったかもしれない。

 自分が子どもに価値観を押し付けようとしている時は、”子どもの人格を尊重しよう”というこの一言を思い出し、自分が望んだことが出来ても出来なくても、それがその子なんだと、ありのままを認めてあげられるような親でありたいと、強く思った。そんなことを考えさせてくれた、わたナギありがとう。


 余談だが、2話の終わり、突然家にお母さんがきた時、玄関ドアの前で「お母さん」と顔を曇らせる、メイちゃんのコミカルな表情が秀逸。そしてとっさにナギサさんを部屋に閉じ込める時の、メイちゃんの顔の細かい演技が大好きだ。

 結局は、わたナギ最高。



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