”出来ない気持ち”に寄り添うということ

 冬がきた。

 毎年ダウンコートを羽織ると、ああ本当に冬がきたんだと実感する。

今年の冬は、コートを着ても寒さが全身に染み入ってくるような、容赦ない冬。ほんの少し前まで、薄いマウンテンパーカーだけで秋の心地よさを感じていたのに。

1日1日過ごしているうちに、ふと気づくと季節が変わっている。もう一年が終わろうとしているなんて。

 今年が終わる前に、少しずつ振り返り、気付きを残していこうと思う。



 春。

 新学期の慌ただしさが少し落ち着いてくる頃、引っ越しをした。

 すると決まって、まず頭を悩ませたのは子供の幼稚園のこと。

どんな園があるのか、園の雰囲気はどうか、そもそもすぐに入れるのか、入れたとしても年中からの途中入園でうまくやっていけるのか‥等。

不安は挙げればキリが無い程あったが、引っ越し先がわりと都会なので園の選択肢がたくさんあったのが救いだった。

できる限り色々な園を見学して、長男が一番安心して過ごせるだろうと思えた幼稚園を選んだつもりだ。

 他の記事で触れてきた通り、うちの長男は人より警戒心が強い子。入園してすぐに皆と馴染んで皆と同じ様に集団活動をすることは難しいようだった。それはわかっていたこと。

それでも私は、去年年少組に入った時よりもずっと、彼の警戒心が和らいでいた様に感じた。

一年の月日が経って本人が成長した部分もあるだろう。周りの先生、お友達の雰囲気が本人に合っていたのかもしれない。

事実、長男は毎日幼稚園に行くのを楽しみにしており、徐々に園生活に慣れていく様子も伝わってきて、私は心底安堵した。


 夏。

 園生活に慣れてきたと思ったら、夏休み。海で浮き輪で泳ぐのか大好きになった、夏休み。


 秋。

 徐々に新生活にも慣れてきた頃、運動会が行われた。入園して約4ヶ月、私の中で最初の難関とも言える行事の、運動会。

運動会当日の朝、長男は特段いつもと変わらない様子で支度をしている。彼は普段通りなのに、落ち着いていられなかったのは私の方。

口を開けば「はあ〜〜緊張する・・落ち着かない・・」

でも、去年と違ったのは、主人も一緒に運動会を見に行けること。私だけではどうしようもないこの感情を、受け止める相手になってくれた。

 このどうしようもない感情はどこから来るのか。どうして、私だけこんなに落ち着かないのか。

それは、どうしても去年の記憶が蘇ってくるから。


 年少の運動会。競技に一つも参加することができず、一人隅の方で周りの様子を伺っていた長男。

一年前の私は、そんな長男のことを受け止めてあげられなかった。自分だけの物差しでしか状況を理解できず、できない彼の気持ちに寄り添い、認めてあげることができなかった。


 あの時から、いろんなことを考えた。子供のこと。自分のこと。家族のこと。これからのこと。主人ともたくさん話をした。そして、引っ越しをして環境が変わった。

今いるところは、縁もゆかりもない土地。不安なところもあるけれど、どうしても周りの目を気にしてまう私にとっては、むしろプラスな面もある。

無理に環境に合わせるのではなく、無理にお友達を作るのでもなく、知らないからこそ一から自分のペースでやってみよう。そう思えたことで、気持ちが少し楽になった。

そしてそれが、子供たちに接する態度にも良い影響を与えてくれたように思う。

私は少しずつながらも長男を受け止められるようになったし、それによって長男も変わって来た。

私からのスキンシップを嫌がることなく、自分から求めてくれるようにもなってた。園の先生に恵まれ、たくさんコミュニケーションをとるようになって来たし、仲良しのお友達もできた。

そんなお友達や先生方に助けられながら、長男は日々運動会の練習を頑張っている。

そのことは先生方から日々聞いていたし、運動会本番をやり遂げることが一番ではなく、練習の過程をしっかり取り組み楽しんでくれたなら、それでまずは大きな一歩。

そう思っていた。思っているんだけれど、やっぱりいざ本番となると、どうしても落ち着かない。


”もしもまた参加拒否しても、できないと言って泣いても、今度はその気持ちに寄り添ってあげられる?”

”できないことを責めずに、受け止めてあげられる?”


私も長男も、去年とは違う。もしできなくても、去年の様に接するようなことは絶対にない。

そう思っているけれど、やっぱり少し期待してしまうし、やりきって欲しいという気持ちもある。

できなくてもいいよ、でもやってほしい。でもやってほしいと思ってしまうと、もしできなかった時が辛い。だからやってほしいとは思わない様にしよう。・・・でもやっぱりやってほしい。・・堂々巡りが止まらない。


 幼稚園に到着すると、園児が続々と園庭に出てき始めていた。長男は?教室の中でぐずっているようだ。今年は姿も見れずじまいかな・・。

そう思っていると、サッと、教室から飛び出してきた。

良かった、とりあえず今年は席に座って参加はできそうだ。

開会式をなんとかこなし、次はかけっこ。練習では楽しくやっていると聞いている。

名前が呼ばれ、レーンについた。

走るかな。このまま座り込むかな。動けなくなるかな・・

ピストルの合図。走った!走った走った!!

目の前を走り過ぎていく姿を見て、思わず涙がこぼれてきた。すごいすごい。信じられない!

走り終わって席に戻ったあとの長男の顔は、晴々としていた。私には、一つやり遂げたという達成感に満ちていた顔に見えた。お母さん、感動したよ。

次は体操。練習では参加しないこともあったと聞いていたけれど、最後まで皆と一緒に取り組めた。しかも、とっても楽しそうに!一年でこんなに成長した姿が見れるなんて。

参加できなくても、去年のように悲しくて泣いたりしないように気をつけよう。たとえできなかったとしても、きちんとその気持ちに寄り添おう。

そう思って臨んだ運動会だったけれど、まさか感動の涙を流すことになるとは。


 長男の成長した姿を見て、改めて思うことがあった。

新しい園に入園してから、長男は自分の苦手なことや出来なかったことにも挑戦し、本当によく頑張ってきた。

もちろん、まだまだ皆と同じ様にはいかないことも多々ある。特に初めてのことに対し臆病で、他の子の様にすぐに対応して動くことは難しい。

それでも、長男なりに様子を見て、よしできると思えれば挑戦し、できるようになったことが本当にたくさんあった。

運動会の練習もそう。

最初はなかなか参加することが出来なかったけれど、先生方が長男のペースを尊重し、寄り添ってくれたおかげで、徐々に進んで取り組めるようになった。

どんな時でもそばで支えてくださった先生方には本当に感謝しかない。

 そしてこのような長男の成長や先生方の姿勢を見て、私自身とても多くの気付きをもらった。

出来ない気持ちに寄り添うということは、出来ない部分も含めてありのままを受け止める・認めることだけど、出来なくったっていいんだよと言ってあげておしまいではない。

今は出来ないということを受け止め、その悔しさに共感し、じゃあどうやったら出来るようになるのか考え、サポートをするということ。

焦らず、急かさず、子どものペースを尊重して、いつか出来るようになるかもしれないと信じること。子どもの気持ちに寄り添うって、こういうこと。

私が長男に対して出来ることは、その時はまだできないという悔しくて悲しい気持ちを理解して、彼が十分に準備が出来る様な環境を整えることくらいなんだ。

焦らず、長男のタイミングを待つこと、信じて待つことが一番大切なんだ。

当たり前のことだよって思うかもしれないけれど、私にとっては、大きな大きな気付き。というより、実感。

言葉で言われただけでは決してわからない、腹にストンと落ちてきた感覚。

今年の運動会は、生涯忘れられないと思う。



 冬。

 一年が終わりに差し掛かった頃、劇の発表会があった。最後まで参加出来るのか、皆の前でセリフが言えるのか、心配になった時も、もちろんある。

しかし、もう一年前と違い、”できない気持ちに、寄り添ってあげられる?”と不安に思うことはなく、その気持ちを受け止めることができると思えていた。

運動会前と違い、できなくたって、焦らずに待ってみよう、私が焦ったって、仕方ないんだ。そう思えるようになった自分がいた。


 劇の本番。そこには、笑顔で入場し、最後まで舞台の上で役を演じて、笑顔で退場する長男の姿があった。




 子どものこと、自分のこと、これからのこと・・心配なことは尽きない。

けれども、この一年は私にとっても長男にとっても、これからの人生における大切な一年になった。私はそう確信している。

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