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今更だけどありがとうね、超てんちゃん「NEEDY GIRL OVERDOSE」

はい、いよいよこの時が来ましたね。
NEEDY GIRL OVERDOSE、このゲームは流石にたまげました。

まあ今更内容を説明したりはしません。ご存知がほとんどでしょうし他に説明のうまい方がたくさんいらっしゃいますので。


素晴らしいゲームでした。こんな育成ゲーム他にないと思いますしこれからも出ないでしょう。
病んでる女の子の危うさ、謎の行動力、そして見た目の良さ。それらが十二分に伝わってきますよね。散りばめられたオタク知識は気が付いた時に「こんなの気が付くの私だけだろう」というオタク心の満足度も高いです。もちろん私が気が付いていないものも多いですが。

お薬の描写もとても凝っています。それぞれの効能がポップに、しかし明らかにヤバい、というのがひしひしと伝わります。こだわりぬいた画面効果なのだということが伝わってきますね。


さて、私たちは超てんちゃんに何を見たのでしょう。
ある人はメンヘラの頂点とし雨ちゃんを見習ってますますメンヘラになってしまったかもしれません。
ある人はインターネットに君臨する神を幻視したかもしれません。
ある人は過去の自分にダブて見え、嫌な記憶がフラッシュバックしてしまったかもしれません。

今、世の中にどれほどの人々がインターネットを利用がいるのでしょう。どれほどの人々がインターネットに自らの重心を置いているのでしょう。
その中のどれほどがインターネットに人生を変えられているのでしょう。

恐らくみんなです。みんな多少なりとも変えられています。

それが良いことなのか悪いことなのかは分かりません。
それが良いことなのか悪いことなのか変えられる。しかも愛する女の子の。
それがNEEDY GIRL OVERDOSEというゲームのひとつの側面だと私は思います。

そしてそこから得られる雨ちゃんの反応は私たちの望むものだったり望まないものだったり望みを超えるものだったりします。


私たちは超てんちゃんと色んな結末を見てきましたよね。
インターネットを辞めちゃったり、宗教を作ったり、インターネットを統一してインターネットを終わりにしたり、画面の向こうの私に話しかけてきてくれたり…
そのどれもが心動かすものだったと思います。無駄なエンディングなんてなかったですよね。

一部ではメンヘラをコンテンツ化してる、という批判もあるそうです。そういう方はスターウォーズを見て戦争をコンテンツ化してると思うのでしょうか、BLACK LAGOONを見て銃による殺傷をコンテンツ化してると思うのでしょうか、それともインターネットという身近なコンテンツだからなのでしょうか。
確かに現実のメンヘラの方々にも触れやすいですし影響を受けてoverdoseしかねませんしね。
しかし決してメンヘラを馬鹿にした内容では無いですしむしろメンヘラの苦悩やその辛いながらの美しさを描いていると思うのです。
話題にも上げず見ぬふりするより真っ向から表現した方が私はいいと思います。

ですがNEEDY GIRL OVERDOSEをプレイして嫌な気持ちになった、という友人も私にはいます。過去の経験により作品の感じ方が変わってしまうのは当たり前ですが難しいところですね…


まあ結局のところ私がこの作品が好き、でいい話なんです。
私がちょっと退屈だと思った2001年宇宙の旅もこの前一緒に飲んだ年配の方は人生で一番の名作だとおっしゃってました。それでいいんです。
私は様々なバッドエンドの果てに銀河ステーションから天に上った超てんちゃんを見てボロボロ泣きました。
メンヘラ、インターネット、承認欲求…
それらの果てに銀河鉄道に乗って終わるというのはちょっとクサすぎる気もしますがでもそれでいいとも思います。ほんとうのさいわいは一体何だろう。見つかるといいね、超てんちゃん。ありがとう雨ちゃん。



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