霧 in The ダンスホール
何となく息苦しい夜だった。
まだ春にもなっていないのに湿度がやたら高く、かとって温かいわけでもないので寒さで冷えた末端の血管に酸素が回っていない、そんな気持ちがする夜だった。
漠然とモヤモヤとした気持ちを晴らすため、というか閉じ込めるためもう寝てしまおうと万年床と化している布団にもぐった、しかしやたらと目は冴え、一時間ほどをごろごろと過ごしたが寝付けなかった。
相変わらず気持ちはもやもやとしたままでスマホで時間を確認すると2時を少し回ったところだった。
(よし、散歩に行こう)
今の鬱屈とした気持ちを発散するためには家にいてもダメだ、外へ出なければ。
寝床から飛び出すと適当な服へ着替え家から出た。
アパートの二階に位置する我が家から出て、驚いた。
見慣れた街並みが一面、深い霧に包まれていたのだ。
なるほど、湿度も高く感じるわけだ。私はひとり合点がいくと霧の中へと入っていった。
霧は好きだ。まして深夜の霧となると特別好きと言ってもいいかもしれない。
普段、見慣れた街並みが、何か起こるような不思議な場所のように感じるからだ。映画のミストは怖かったが。
10分ほど当ても無く彷徨って気が付くと公園へとたどり着いていた。
自分も数回訪れたことのあるこの公園は今のご時世珍しくあのくるくる回る球体の、あの、登れるあれがあるのだ。
日中だと人の目が気になるので登ったりは出来ないが、折角夜なのでくるくると回してみた。
金属が軋み、回る音は霧へと吸い込まれながらも辺りへ不気味に響き渡った。
本当は子供の頃の様に回してから飛び乗り、回る球体の上で黄昏ようかとも思っていたが、この音を聞くとなんだかそんな気も失せてしまった。
ブランコに乗ろうかとも思ったがこの湿気のせいで座る所がすっかり濡れてしまっていた。
そんなこんなで遊具を一通り見て公園を後にした。気分は晴れるどころかまるで世界で一人だけ居場所がないような深い孤独感と焦燥感に包まれていた。
イヤホンを持って来ていれば愉快な音楽でも聴けたのだが、あいにく持ち物と言えば財布とタバコ、100円ライター位なものでスマホすら持って来ていなかった。
誰も待つ人のいない孤独の深淵たる自宅へ帰る気にもなれず、私は夜の徘徊を再開した。
未だ霧は深く数メートル先は全く見えない、先ほどまでは知っている道を歩いていたはずなのだがどうやらいつのまにか知らない土地に来ているようだ。
太い道だと車が怖いのでなるべく細い、車通りのすくなそうな道へと歩いて行った。
ふと、どこからか音楽が流れてきていることに気が付いた。それも愉快そうな音楽のように聞こえる。
私は久しぶり感じた人の気配になんだか嬉しくなり、霧の中音に向かって進み始めた。
……どれほど歩いたのだろうか。1時間のような気も10分くらいのような気もする。
道も段々狭く、ついには舗装も無い道へとなってしまっていた。
(もう帰ろう…)
何度思ったかわからないが音楽は確実に大きくなっているのでなかなか諦められないでいた。
しかし、さすがにもう帰らなければいけないなと思ったとき、不意に目の前に石造りの階段が現れた。
どうやら件の音楽は上から聞こえってきているようだ。
階段なんか登りたくない程くたびれていたが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。私はよし、とわざわざ声に出して言い、階段を登り始めた。
かなり長い時間登ったと思う。段数で言えば500段は優にあっただろう。その頃には音楽はかなり大きくなっており、何やらダンサンブルなテクノが流れていることが分かった。所謂クラブミュージックの類である。
そしていよいよ階段を上がりきると目の前は霧で包まれたクラブだった。
屋外のはずだがどこからかミラーボールが垂れ下がり、そこから無数の光が投射されている。霧に乱反射したそれはただでさえ現実離れした光景をさらに異様に盛り上げている。
フロア(屋外だがそう形容する他ない)には深い霧のせいではっきりとはわからないがかなりの人数がおり、それぞれ思い思いに体をくねらせたり、揺らしたりしていた。
口を半開きにしてその光景を見ていたがふと、左手の方に何かあるのが見えた。最初は神社にある手水舎かと思ったが近づいて見てみると、バーカウンターだった。
海外の映画なんかで見たことのあるようなU字型にカウンターがありその中では二人のバーテンが働いていた。
片方はバーカウンターよりも高い位置に膝小僧があるように見える程足が長く、片方は長さが二メートルはありそうなバーカウンターよりも長い腕をしていた。二人とも異様ないで立ちではあったが顔は普通の中年のおじさんと言った姿かたちで、二人そろって七三分けにし、ネクタイにベスト、白いシャツ(もちろん手の長さにぴったり合った)という姿は何だか愛嬌があった。
足が高く背の高い方が近寄ってきた私に気が付き
「あれ?見かけない顔ですね?」
とクラブの爆音に負けないよう大声かつ顔を私に近づけて尋ねて来た。
「はい、始めてきました。こんなところにこんな場所ががあるなんて知りませんでしたよ。」
私も声を張りそう答えた。
向こうはしばらく不思議そうな顔をしていたが
「かけつけ一杯といきますか?」
と何やら酒瓶を手に持ち私に勧めて来た。
「あ、はい。」
そう私が言い終わらない内に手の長いバーテンの方の手が私の目の前にぬっと伸びてきて白いショットグラスが置かれた。陶磁器でできてるなんて珍しいなと思っているうちにそこに酒が注ぎこまれた。
霧と暗さのせいで酒の色すらわからなかったが、出させたものは頂く性質なのでグイッと飲み干した。
これは…
「テキーラです」
テキーラだった。
「いい飲みっぷりですね!」
足が長いバーテンがそう言いながらどこからともなく伸びて来た長い方の場の手が次のいっぱい注いでいく。これは私がいる限り無限に飲ませてくるやつだな。
「誰から誘われたんですか?」
「いえ…たまたま通りかかって…まずかったですか?」
「まずくは無いですけど…よくたどり着きましたねぇお客さん。」
などと話しながら酒を飲んでいく。テキーラ、ジントニック、どぶろく…なんかよくわからない液体…
「兄ちゃん、いい飲みっぷりだね」
気が付くと隣にいた男がそう話しかけてきた。
赤い顔、長い鼻、山伏姿に一本足下駄。いかにも典型的な天狗だ。ただ彼の掛けているサングラスは恐らくビンテージのレイバンだろう、さりげないお洒落がイカす天狗だ。
「良かったら一杯奢らせてくれよ」
サングラスを外しながらそう天狗が問うてくる。私がお礼を言い了承すると
「よっしゃ!手長さん!いつもの頼むわ!」
どこからともなく伸びて来た手の長いバーテンの腕が私達の前に大きな徳利をひとつと湯飲みを二つ置いた。
徳利も湯飲みもかなり年季が入っているようで、何やら妖気のようなものが漂っているような気もする。
「そら、注いでやろう」
そう言われ片方の湯飲みを持つ
天狗はその湯飲みに徳利からなみなみと酒を注いだ。
彼も湯飲みを手に取ったので今度は私が徳利を手に取り、湯飲みへと酒を注いでやる。
「それじゃあ、カンパイ!」
彼と湯飲みをコツリと合わせ、酒を口へと運ぶ。
「うまい!」
自然と口からこぼれた。今まで飲んだどの日本酒よりも美味い。甘く、それでいてすっきりとした味の酒だ。つまみがなくてもいくらでも飲めそうな気がする。
「そりゃよかった。ほれ、どんどん飲んでくれ。」
それからはもう、めちゃくちゃだった。
どこからか赤い顔に二本の角、トラ柄のジャケットを着た、まあ所謂鬼が来たと思ったら天狗と飲み比べを始め、それに他の魑魅魍魎達とヤジを飛ばしたり、やけに白い肌の何故か頭上から雪が降っているボディコンの女の子と踊ったり、傘の化け物とテキーラを飲ませたり踊ったり…
ハッと私は自分の万年床の中で目を覚ました。
やたら痛む頭と喉の渇きから恐らく二日酔いのようだがどこで飲んだのかとんと思い出せない。
もう一度寝なおそうと寝返りを打つとそこには可愛らしい女が裸で寝ていた。
ただし、女の肌は緑色で、頭には皿があり、そして背中には立派な甲羅がついていたが。
「うわっ」思わず声が出た。
「ふわぁ、あらおはようダーリン。」
「お、おはよう…ダーリン?」
「昨日のあなた、素敵だったわぁ…鬼より飲んで煙々羅よりも情熱的なダンス…そして布団の中でも…」
「はぁ…」
「これからよろしくね、ダーリン!」
返事をせずに部屋のカーテンを開けると清々しい晴天だった。
私は笑顔で振り向くと
「よろしく!ハニー!」
河童の彼女が出来ました。
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