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作品の前で思ったことを言い合うことで見えてくる内面の世界と見えていなかったこと〜『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を読んで

ネタバレ含みます。ページ数は、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』から、引用したページです。

"美術館"が好き

白鳥さんは、美術が好きというよりは、美術館が好きな人だ。      
白鳥さんが惹かれるのは、「物体として放つ、美術作品及び美術館の空気・雰囲気や、見ることで刻々と変わっていくアテンド、美術館そのものの距離感の変化」(p250~251)だそうだ。

私も美術館が好きで、今まで言葉にすることができなかったことを言葉にしてもらった感覚がする。      
展示の内容で選ぶことがほとんどだけど、迷ったときに結局足を運んでしまう。ミュージアムで展示されるときの作品やミュージアム自体のオーラや空気感に魅了されるのだ。

誰かと一緒に鑑賞すること

私は、一人で作品に向き合うことも、友人と語りながら見ることも、どっちも好きだ。

友人と見る楽しみは
・(絵の中の)あの人、何やってんだろうね〜
・後で書き足したようにしか見えないwww
・(作品の)あの人にしか目がいかないwww
・あの人の顔ww
とか、しょうもないことを言いながら、自分ひとりだと気づけなかった発見で盛り上がったり、面白い感想を共有できたりすることだと思う。(開館から閉館まで過ごしていたこともある)

白鳥さんの鑑賞方法
アテンドしていただく方に、
作品に関する正しい知識やオフィシャルな解説は求めておらず、「目の前にあるもの」という限られた情報の中で行われる筋書きのない会話を求める(p22)というもの。

白鳥さんは、この鑑賞方法で、感謝されたことがある。
今の鑑賞方法が出来上っていなかった頃に、とある美術館でスタッフにアテンドをお願いした時のこと。
その日は、70点ほどある作品をすべて解説してもらったそうだ。3時間ほどかかった。白鳥さんはもちろん、スタッフも疲れただろうと思い、白鳥さんが、「ありがとうございました」と感謝を述べようとした時、スタッフに感謝の言葉を述べられたそうだ。                  
理由は、何度もその絵を見ているスタッフが、書かれている被写体が思っていたものではない被写体を書いていたことに気がついたから。(p116~117)

それこそが、人とみる楽しみなのかもしれない。特に、見えない人の前で、感じたことや細部を伝えようとすると、多様な視点が見えてくる。筋書きのない会話をすることで、心が揺れることもあるだろう。

少し違うかもしれないが、博物館実習に行った際に、学芸員に言われた言葉を思い出していた。学生は、手間取らせてしまい申し訳ないという気持ちをもち、実習に挑む(だろう)。

そんな中、学芸員が、実習生を受け入れている時や他の館から借り受けに来ている時くらいしか、じっくりと作品を見れる機会が少ないから、貴重な時間なんだよ。

「盲人らしさ」(障害特性)との葛藤

白鳥さんが、盲人らしくないことをしたいと思っていたのが、意外だった。
美術館に通い始めたのも、写真を撮り始めたのも、家にいるときは電気をつけることも、大学に入学したことも。

作品『ディスリンピック2680』

白鳥さんに伝えるため、マイティさん(白鳥さんとアートの旅をする非常勤博物館職員)と有緒さん(著者)が、この絵の感想を語り合っていた。

この作品は、蔑まれた世界、優勢思想…といったことを想像させる作品と話した二人だった。
二人から出てきた感想は、
マイティさん「わたしたちって、この世界に入ったら完全に右側(蔑まれた世界)に分類されるひとたちだよね」
有緒さん「はは、そうかもね。兵隊になれなかったもんね」と。
二人とも、公務員という安定した職を捨て、自分の道を選んだ。結局は、社会に溶け込めなかったからだと。
驚いた。だって、ごく当たり前に暮らし、仕事をしていて…

その発想でいくなら、私だって、右側の人間だ。吃音があって、非正規雇用で…

それを思うと、本当の意味で、左側の人間はどれくらいいるのだろうか

障害者疑似体験の学びと寄り添うことは、「根本的に違う」

ホシノさんという白鳥さんと20年来の友人がいる。いっしょに、ワークショップを行うほど親交が深い人物だ。

ホシノさんは、視覚障害に関する研修も行っている。晴眼者がアイマスクをつけて視覚障害を疑似体験することに、疑問を呈するそうだ。(p317~)

参加者の多くは、研修が終わると、「見える、見えるってやっぱりすごい」と多くの人が述べるらしい。

ホシノさんは言う。「突き詰めてしまうと、僕は、白鳥さんの頭の中に入り込めない。ただ、寄り添うだけ。そのことがどれほど大事か。視覚障がい者の気持ちになれたと思い込む時点でアウトなんですよ!そのアウトさが世界を覆いつくしていく。心身を疲労してドアを閉じてしまう鬱状態の人にも、多動症の人にも、視覚障害者にもなれない、ぼくらは、ほかの誰にもなれないんですよ!なれないのに、なろうと思っている、浅はかさだけがうすーく滑ってる、そういう社会なんですよ。」と

盲ろう者向け通訳介助員養成講座で、盲ろう者疑似体験をしながら、通訳介助の勉強をする機会もあった。
有緒さん(著者)がいうように、「見える人がアイマスクを付けて過ごしてみることが、想像力を働かせるきっかけくらいになるのでは?そういう他者への想像力や共感する力こそが、今の社会で必要とされるエンパシー(共感力)というものではないのですか。わたしは、そうやってほかのひとが直面する困難を想像できるひとになりたいとおもいますよ」と。

盲ろう者向け通訳介助員養成講座で、盲ろう者体験は、どれくらいの視野で生活をしているのか知ること。どんな世界にいるのか知ること。それを知るツールの一つなのは、間違いないと思う。

有緒さん(著者)がたどり着いた答え。それは、「必死にだれかの立場になって想像したとしても、誰かの人生や痛みや喜びまでは共感できない。ただ、一緒にいて、笑っていらられば、よかった

私は、幾人かの盲ろう者や聴覚障害者に会った。
周りのことを全て説明してほしい人もいれば、最小限の説明でいい人もいる。
自分の楽しみを見つけている人もいるし、
障害者と健常者の架け橋になろうと頑張っている人もいるし、
下ネタが大好きな人もいる。

腫れものに触るような態度ではなく、それぞれの個性に関心を持ち、会話をし、その場を楽しむ。やっぱり、大事なのは、寄り添う姿勢なのだと思う。
最低限の必要な配慮はあっても、それ以上の思いやりや優しさに、困惑したり迷惑に思ったりすることもある。

アートブリュッセルの側面をもつ「はじまりの美術館」

「はじまりの美術館」という面白い美術館がある。障害があるひとの作品を中心に展示する美術館(アートブリュッセル)であるが、障害があるひとの作品も、世界的に評価されるアーティストの作品も、区別することなく、フラット展示する美術館である。(p165)

現在、ボランティアの受け入れをお願いしている団体も、企画展「日常をととのえる」に参加している(代表は、「うち、全然「ととのってない」んだけど💦」と選ばれたことにびっくりしたそうだが笑)。

障害と強みの違いってなんだろう?

京都人力交通案内「アナタの行先、教えます」
京都駅付近で、道案内をしている二人組である。この二人は、同じ施設に通い、ともにバスを愛し、超絶ややこしいと言われる京都のバスの路線図をカンペキに把握している。
正直、障害云々関係なくほしい能力である。
そこで、この驚異的な能力を活用しようとひらめき、実行したのが、施設の代表だそうだ。

はじまりの美術館の館長は、「福祉事務所ではみんなで作業を行うのですが、中には、作業が苦手な人もいるんですね。どうやったらそういう人たちの毎日を充実させられるだろうかと考える中で、アート制作が始まりました。やってみたら、びっくりさせられることもあって、固定観念がひっくり返されました」と述べている(p175)
また、館長はこうも述べている。「表現の力に障害のあるなしは関係のです。」
著者は、「障害者は実に多様。それらの表現の源流にあるものは、障害の有無とは関係がなく、ひとりひとりの内なる光なんだ」と感じる。

悲しいことに、日本において、障害者福祉施設は必ずしも地域で歓迎されているわけではないのが現実(p174)としてある。
私が、ボランティアとしてお世話になる(予定)の団体は、地域に開いている。そして、作業を強制しない、そんな福祉作業所だ。それぞれの個性を面白がる。だからこそ、私自身が惹かれたのだと思う。

お世話になる予定の事業所の代表は企画展に選ばれたことにびっくりしたそうだが、私は白羽の矢が立って当然だと思う。

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