書くことで現実が変わる

さっき、荒井裕樹『障害者差別を問い直す』という本を読んでいたら、脳性まひなどの障害を持った人たちが作った「しののめ」という文芸誌とそこに掲載された詩が紹介されていて、文芸とエッセイという違いはあれど低空飛行noteのことを想起させられました。
「しののめ」は当事者の小さめのコミュニティの中でしか流通しなかったけれど、参加者からはのちに障害者運動の中心人物となるような人が多数輩出されたそうです。
それを読んで、書く行為が人間や人間の現実に及ぼす作用ってすごいなと思いました。
低空飛行noteには多様で切実でエネルギーに満ちた文章がたくさん集まっているので、読んだ人が確実に何か影響を受けるのではないかと思います。私もメンバーなのでやや自画自賛ですかね。
また、私も、書いているメンバーも、書くことをきっかけに何か変化するかもしれませんし行動を起こすかもしれません。
(私は精神障害者の社会運動をやる?と周りの人とぼそぼそ話したりミーティングしたりはすでにしていますが、まだ始まったばかり)
みんなが書いたものがその人を反映していて読んでいてとても面白いので、参加できて嬉しいし、なるべく読み応えのあるものを書こうと思っています。
生きづらさがある人の持つ、ものを書く力って別に生きづらさという要素由来とは限らないから、障害や疾病や生きづらさがある人の書いたものを生きづらさ文学みたいなのに分類して、いわゆる普通の人と同じ土俵に立たせないってアリ?みたいなことも考えますが、一方で、マイノリティ当事者の心身のつらさ、社会にある障害を持つ人への差別、それらが混じり合って生まれる困難さなどによって心の中にものを書く強い内的な必然性が生まれることがあって、そうやって書かれたものは何かしら人を揺さぶる力を持つと思います。
また、書くという行為は読んだり考えたりしたものを書いて人に読ませて終わりというものではなくて、書いた人本人にも変化をもたらすものだと思います。意識の片隅で思ったことや少しの違和感や生きてる実感を取りこぼさずに書いて書きまくって、自分が変容していくところを見ていきたいと思います。

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