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帰郷までの長い道のり 2<何者>

80代の父は人生の終わりに近づいている。そして、50代の私は社会人としての終わりを意識し始めた。

社会に出て30年近く。いまだ何者でもない。「何者かになりたい」「何者でもない」と誰が言い始めたのか知らないが、「何者」とはすなわち「有名人」「金持ち」「権力者」「他人から評価されている人」「自分が幸せと満足している人」、だいたいそれらのどれか、あるいは全部だと思う。

「何者でもない」とは若者の光と影を表現するときの常套句のようだが、たいてい40代も50代も何者でもなく、何者にもならないまま社会人生活を終え、老年期を迎える。

そんなことはわかっている。わかっているが、私はまるで20代のように焦っている。自分の社会人としての人生をあと10数年でどのように終わらせていけばいいのか。落としどころがみつからない。

何者でもない先輩である父は、50代のときどういう気持ちだったのだろうか。30年前を思い出そうとしても、もう当時から父を毛嫌いし遠ざけていた私は、父がどういう思いでどういう生活をしていたのか何も思い出せない。ただなんとなく、想像だけど、父も私のように焦りもがき続けた人生であったように思う。きっと今ももがいている。

現に、父は時折「会社を作りたい」だの「本を出版したい」だの言い出し、「へんな人にだまされて金を取られるのではないか」と妹が心配している。そして絶対に施設に入りたがらない。まだ自分はそんな状況ではないと言い張る。はたから見たら、完全に「そんな状況」なのに、だ。

私もはたから見たら、きっと悪あがきしているように見えるだろう。「年甲斐がない。あなたの人生、もう先は見えているのだからあきらめなさい」と人は言うだろう。一方で「何歳からでもチャレンジできる」「人生に遅すぎるというこおとはない」と無責任に言う人もいる。

人生の落としどころがわからない。

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