さえずり(短編集)第10話
反転する世界(ファンタジー)
コーティングされた世界を生きるボクたちは、耳触りの良い言葉と、お行儀のよい態度をまず最初に教えられる。
嘘はつかない。誰かを傷つけない。自分のことは自分で。悪い事をしたら謝る。みんなとなかよく。どれもこれもシンプルで、大切なこと。
ありがとう。どういたしまして。ごめんなさい。だいじょうぶ。きにしないで。
そうは言っても、大きくなれば、糖衣の奥から苦い薬が滲み出すように、物事はどんどん複雑になるものだ。
高校からの帰り道、ボクは早めに訪れた冬の夕暮れを眺めながら、線路沿いを歩いていた。
ときどき過ぎる貨物列車の音や、工場の鉄錆の匂い、波打つトタン塀の向こうで煩く吠える犬。便利と不便がちょうどよく混じり合う、どこにでもあるような田舎町。刺激的なことなど起こりようもない。
そうして建物の間にフェンスで仕切られた、砂場とブランコくらいしかない小さな児童公園を横切ろうとすると。
。る す 転 反 と り る ぐ が 界 世
ああ、まただ。さっきまで冬の夕方だったはずの空には、黄色の太陽が2つ浮かんでいる。ものすごく暑い。黒いブーツの足元は焼けた砂。
「アラタ!来るぞ!」
名前を呼ばれてハッと顔を上げれば、ゾウみたいに大きな紫トカゲがボクに向かって突進してくるのが見えた。無意識に振った手から真空の刃が現れ、トカゲの体を真っ二つに切り裂く。
雨のように降り注ぐ紫の体液を浴びて、呆然とする。毒は無いみたいだけど、生臭いしドロドロするし最悪だ。
「やったな!」
小さな手に背中を叩かれ我に返る。今日の相棒は耳の尖った小型のエルフみたいな奴だ。名前は多分、シュウ。姿形は違っても、それはいつも同じ。
誰かの体に入り込む。一年前に急にこの現象が起きた時は、パニックになったものだけど、しばらくすると元の世界に帰れる。
元の世界の常識はまったく通用しないし、反転した先では大抵の場合、戦いの真っ最中だ。
少しずつ違う世界、少しずつ違う姿の相棒。同じなのは名前だけ。ボクたちは旅をしながら何かと戦っていて、途中でまた飛ばされるボクは、最後まで見届けたことがない。
自分の正気を疑ったこともあるけど、帰るたびに元の世界の現実も少しずつ反転世界に侵食されていると気付いた。
ある日やってきた転校生はシュウという名前で、ボクたちはいつの間にか友達になった。
疫病の村、機械の戦争、沈んだ大陸、放射能に溶けたビル群、熱砂の砂漠。幾度も繰り返す反転の中で、どこがボクの元いた世界なのか、時々分からなくなる。
あの退屈で平和な世界は、もしかしたら、セーブポイントなのかもしれない。
いつか旅の終わりまで行けたら、何かが変わるだろうか。
ボクは2つの太陽が放つ眩しい光に手をかざし、「早く来いよ」と急かす相棒の背中を追って砂を踏みしめた。
終
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