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書くリハビリ

割と最近の話ですが。

色々こう、書いてるわけですが、思いの外言葉が変わってるだけで、内容があまり変わってないんじゃないか?

というのを、実は自分自身が感じてたりします。

その反面、今までの人生でも余り深いところを口にしたことがないからこそ、逆に書いて表にだしてるという部分があり。

それを掘り下げると、持ち上がるのが、

危機感

という、ね。

そこには、色々複雑さがあるのですが、そこを今回は少しばかり掘り下げてみようかなぁ、と思いますよ。


虐待、という言葉

つい先日、あるきっかけで、虐待とは?という所から。

現在では、厚労省のホームページなんかでも、該当するものについて記載がなされてたりしてたようです。

記載されてるのは、若干下の方になるので、スクロールする必要がありますが。

うん。

物心ついてから、日常的にありました。

という感じだったりするわけですが。

如何せん、生まれた時代と、価値観や経験もあって。

また、それ以上に自分でも掘り下げきれなくて、何がどうあってそうなるのか?が掴めないのですが、

「それは認めちゃいけないんだ」

とりあえず、見てみようという感じで、実際に見てからもそういう気持ちとか思考が湧きました。

うん。

そんな感じなので、乗り越える、乗り越えない以前に、それをわかってて認めようとしてなかったと言う部分が、やっぱりあるのかなぁ?と。

実際問題、虐待といっても、突然始まるものでもなく。

時代を遡るほど、親の躾って厳しい家庭もあったので、連鎖と言う形で発生してるのも否めず。

この辺は、親のことなので詳しくは省きますが、親だけでなく、祖父母や、親から見ての叔父叔母から聞いた話を総合しても、これは虐待かなぁ、と言う部分も強いです。特に父方の場合。

なのでまぁ、親が悪いだなんだではなく。

客観的に見てみると、幼い頃からやっぱりそういう環境にあった。

というのは否めません。

それどころか、幼稚園も、小学校も同じく。

だったんですよね。

トホホホホ


その虐待のもとには

個人としての感受性。

それによる、気付き、察し。

そういう部分からくるもの。

幼い頃から、否応なく自認出来なかった性別。

こういう部分が間違いなく、過分に絡んできてます。

そして、理解どころか、話し合いすらなく、一方的に。

自分たちが多数派だからと、選挙でもないのに、多数派が強いと錯覚して攻撃してくる。

そこには正義も悪も、クソもない。

優しさ、思いやり、幼い頃から教えられるくらいに、理解できなくもないものすらない。

自分さえ良ければいい。

そういうものばかり。

うん。

そして、成長しようがどうしようが、全然環境が変わらないというか。

もう、幼い頃からの苦の記憶どころか、経験そのものが再現されてしまう。

自分の理想、そこから来る正しさ。

そういう物に固執しすぎてるからこその、現実の見えてなさ、視野の狭さ。

それを感情の乗った、言葉でもって。

自由どころか、好き勝手が過ぎるんですよ。

HSPと言う言葉だって、生きづらいで埋めようとしてるのは、生きづらい人で多数派を作って・・・というね。

その、生きづらさの理由って何よ?

他者が悪いというのは、単なる責任転嫁で、自分の行動はどうなのよ?

その自分の行動に対して、周囲はどう評価してるのよ?

そういう、他者の評価は否定するのに、自分から見た主観的で、一方的な評価を生きづらいと、言ってるだけでしょうよ?

幼い頃から、当たり前のように見つめてきた、現実に溢れる人間の弱さの現れでしかない。

それでいて、HSPと言う言葉に乗っかるから、配慮が出来てる、気遣いが出来てるなんて、間抜けな事を言い出す人すら増える始末。

虐待は悪といいつつも。

身を持って経験してるだけでなく、深い部分が自然と見える、そこから踏み込んで、なぜそうなってしまうのか?と、更に深いところを追求すらする。

そして見えてくるのは、いつも、いつになっても、いつの時代も。

人の弱さ、いい加減さ。

それを幼い頃からぶつけられるだけでなく、少数派どころか、極端に単独になるから、抑えつけられてしまう。

乗り越えるもなにも、否応なく記憶が、フラッシュバックするまでもなく、忘れきれない内に引っ張り出される程。

ほんとね。

終わらないんですよ。

もう、ガマンしようにも、そういう都合の良い自由が溢れてて、横行するほど=昭和の頃より増えてしまってるから。

ガマンも限界どころか、キャパ超えて出来なくなってるんです。

そして、これが、客観的な事実、現実、です。

真実なんて、まだ深いところにあるという段階で、こんな状態。

他者を変える事はできないとはいえ。

自由とはなにか?

配慮や、思いやりとはなにか?

今一度考えてもらわないことには。

精神的にダメージどころか、病状まで行くような悪化になるんですよ。

古い時代は根性論で我慢してた。

でも、それは逆に、我慢することが出来てた、という時代でもあるんですよね。

そして今はどうか?

我慢するしないどころか、そもそもするつもりがないと言わんばかりに出来なくなってしまい。

個人が好き勝手にネガティブを撒き散らすがゆえに、ストレス社会になってる、と。

ほんとね?

その生きづらさはなにか?すら、一瞬で、いとも簡単に把握するのも、見る、聞く、感じる、気づく、察するという感受性がもたらす物なんですよ。

ほんとこう、言葉だけ繕って、中身が鈍感さんな人が、言葉を言いだしたものだから。

鈍感さが誘発されて、鈍感さんが溢れてしまってる。

流石にちょっと、普通じゃなさすぎて、人間を超えてる。

例え冗談でも。

冗談にして言えるほどに、見せつける事ができる。

そういう物が個人としては、根底にあったりします。

それ故に日常的にダメージ受けすぎてしまい、投薬しても薬が効かないし、根深くて深刻と言われてしまう。

もと=原因、理由、根拠、背景と言う部分が、そうあるので、辛いと言ってたら、生きていけない。

とはいえ、もう、我慢してたけど限界必至なので、ね。

声を挙げてしまうんですよ。


自由=好き勝手、自分勝手という形骸化

それ程のものが、幼い頃にはもう児童虐待だったという状態の元にあったりします。

自分たちの都合で、好き勝手やられて、踏みにじられる。

奴隷制というものがないだけで、例えるなら、見えない形での奴隷っていうんですかね。

我慢して、何がどうあれ生きていく。

そこに、苦痛が溢れてても。

他者が悪い、社会が悪いではなく。

そうあっても、それを良いものに変えていくにはどうしたらいいか?

個人としてどう生きてたら良いか?

そういう事が出来るのも人間なのに、他者のせいにして、楽をしよう。

自由という言葉を無駄に使う人の裏側には、そういうね。

楽の先取りしか見えてこない。

個人として言う、無意識。

もう、掘り下げすぎてて、自分も、様々に感じ取れる他者についても、無意識って相当に深すぎるところにあるもので、

悪いけど無意識じゃなくて、目を背け続けてきた結果、当たり前のように気づけなくなってる

という、退化なのでは?

自由だ、権利だを振り回すってのは、そういう自分の弱さを表にだす。

そういうのと変わらないです。

自由って言えば、何でも通る。

権利と言えば、自分にとっての良い、正義、善が押し通せる。

そんなことは、ござんせん。

過ぎたるは及ばざるが如し

結局、都合の良さが勝ってるので、自分勝手さが過ぎてて、悪に転じてるんですよ。

そして、突かれると痛いから。

感情的になって、暴言はいて。

仲間集めて寄ってたかって、言葉で叩く。

昭和のヤンキーかよ?(笑)

知ってる側なので、知らないって言っても、その行動はそういうものだからって説明出来てしまう。

温故知新

そういう古い時代の悪い部分を知ってれば、それをもとに、行動を変えることができそうなのに。

知らないから、も。

ただの言い訳でしかない。

とりあえず言葉を使ってればいいなんてのは、言葉の意味が忘れられてしまい、言葉がただのハリボテになる=形骸化するだけなんですよ。

ほんと、こうヤレヤレです。


書くリハビリの裏側

それは仕方がないこと、として、スルーしてても、無意識下にはストレスがありますし、スルーとはいえ、我慢だったり無理にもなる。

だからこそ、精神やんで、ドロップアウトしたのに。

改善するどころか、寧ろ、診断初期に戻りつつある。

どうにもこうにも、すぐにえずいてしまう。

何は無くとも、おぇええええと、吐き出す時の声と、体の動きが出てしまう。

そういう頻度が上がったので、外に出てしまえば、我慢しなきゃだし、我慢も崩壊するからこそ、見ず知らずのだれかに心配すらさせてしまう。

そして言われるんですよ、無理しないほうが、と。

無理もなにも、しないことには、根底にある苦が消えるどころか、上書きだ追加が続いてしまってるからどうしようもない。

でも、生きていくには最低限自分は動けないといけない。

とはいえ、行動する意識を軽く持つだけでも、体は拒否する。

もうね。

限界なんですよ。

だからついつい、言葉にしてしまう。

うん。

ほんとにね?

生きづらさも感じなくもないですが。

だからといって、誰かのせいにしようにも、特殊すぎて、少数派になるから出来ないんですよ。

正しい、間違いなんて、頭数だけで、歪められるものでもありますし。

そういう事にするつもりはなくても。

本を出したり、動画にしたり、記事にしたり。

大して知りもしない、興味を持って触れて学ぼうとすらもしない。

都合が言い、心地いい言葉だけを用いて、その概念を捻じ曲げようとしてる。

それが多数派になろうとしてるから、異を唱えてるんですよ。

なんで、心理学上の概念なのに、それに触れない、そういう内容からの言葉の持ち出しすらないんですか?

っていう。

語源、言葉の意味を内包しないまま、作り上げた所で。

語源や意味なんてのは、研究というもので練り上げられた強さ、硬さ、強固さがあるんですよ。

だから、打ち勝つことが出来ない。

だから、頭数だけそろえた、形だけの多数に頼ろうとする。

結果、いつの時代も、我慢して黙って、何もないふりをしつつも、影では泣いてる悩んでる。

そういう、配慮ができる、優しい人達が、傷つけられ、踏みにじられる。

そして、生きつ先は精神疾患。

こうなってはもう、個人の我慢の限界もあれば。

敢えて、見過ごすという、ね。

それを止めてさしあげますよ。

出来ないのに、出来るという、出来たつもりでしかない人って、土台が弱いので簡単に足元掬えますし。

それで傷つこうが、因果応報。

楽をしようと、ハリボテの言葉に頼るだけでなく、それを振り回したからこそのツケですよ。

言葉は凶器。

でも、片刃ではなく、諸刃。

扱い方を誤れば、自分自身が傷つくのは必至です。

という、ね。

そろそろもう、いい加減、我慢するの止めないことには。

根が深くて深刻とも言われる。

もう、これは黙って見過ごしてあげるなんて事をせず、バッサリと禍根と共に断ちに行かねばなるまい。

というのが、裏側だったりします。


あとがき

しつこさ、くどさはあるものの。

虐待というだけでなく、精神的虐待と言う言葉を少なからず見聞きするようになってからは、うっすら自覚はあったものの。

それを認めれば、それはそれで悪い部分もある。

なら、それをどうするか?

結局、少数派過ぎて、何をどう言っても臭いものに蓋、出る杭は打たれる、で正しい間違いどころではないのは、身を持って経験済み。

敏感にしても、繊細にしても、弱さというネガティブ方向なものだけじゃないんですよ。

そういう時代ではなくなったので、表に出れなくなっただけで、いわゆる軍師タイプの人って結構埋もれてると思います。

生命を奪われる怖さ。

そういう物が付きまとわないので、見えてるもの、感じ取ってるものを具現化させて見せる事ができない。

めぐり合わせがなければ、歴史上でも埋もれてるといえば、埋もれてるんでしょうけどね。

そして、その頃は今のように、情報の伝達速度が遅い。

だからこそ、意表や虚は突かれやすい。

今は、情報を盾に隠す事ができるようになったものの、言葉を捏ねて愚策を弄するしかできない。

上辺だけだと、策士策に溺れる。

と。

なんかこう、ね。

自分上げが苦手=まだまだ完全に自分で受け入れて切れてない。

そういう部分があるので、こう、あれこれ出てしまうのも否めないところですが。

歴史上でも、鬼才が居なくなった所で、良し悪しはあるものの、歴史は紡がれ続けるもので。

結局、仕事をしてる頃も、重宝されるどころか、なぜそんなに仕事が出来るのか?と。

だって、目で見てわかるじゃん?

って言った所で、見えるレベルが違うので、嘘だと言われてしまうだけ。

見えてるから仕事に活かせてる。

だから出来てる。

でも、なぜと問われるし、説明した所で聞いてもらえない。

感じ取れるって、相当に面倒も多いんですよ。

そして、その面倒に対して、少数派だし、相談しても相談に乗る側には測れないレベルなので、受容や共感もないし。

寧ろそこが分かるほどなので、演じて、無駄に争いを生まないように回避すらできる。

まぁ、ネット上ですしね。

面と向かって、相対しないからこそ、感じ取れないし無視するんでしょうけど。

飛びついてる人って、恐らく、個人の経験上の否定と矛盾をぶつける側だと思います。

色々感じ取れるというのは。

自分の感情だけでなく。

自他関係ないからこそ、色々出来てしまい、その違いが。

普通に過ごしてると、突然指摘されたり、アレコレ言われたりするわけですが。

何の問題もないどころか、ただ、言いたかっただけ。

こういう事の連続とまではいわずとも。

普通より感覚が抜けてる=高いということは。

普通の範囲の外を容易に知れるということでもあります、よ。

宇宙の暗黒物質なんかもそうですが。

見えないから見ようとする以上、見えない原因としてある、星、惑星の内部には影響はないのか?

地球上での夜の状態は、大気というバリアがあれど。

光が一切ないと前提を置けば、宇宙空間の暗黒と同じだと思います。

そういう、大気がバリアになって遮れるのか?

宇宙空間でしか観測できないのか?

そもそも、物質に原子、分子があるというのは、見えない故にないものとされてた時代もあるわけですが、それが見えるとなった現在では。

地球上だ、宇宙だ関係なく、物質がある=そういう分子だ、原子だがある

なんですよね。

まぁ、その。

個人がそうあるだけかもしれませんが、知覚できた時点で、その先々に飛んでいってしまうというか。

と、言う感じで。

妙な所まで、話が飛びましたが。

それ程に妙なところも、見えて、感じて、気づいてが当たり前。

また、表向きだけでなく、無意識や深層心理、本能というような。

普段は知覚できないからこそ、裏側があるのも、人間ですよ。

そういう部分に、あくまで、多分、可能性という程度でも感じ取れるし、時にはそれが当たるし、何はどうあれそこを元にして行動するし、それが自然体のときもあるから。

おかしい。

ということで。


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