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果たしてその実態は?

これまた後出しじゃんけんみたいな話になってしまうのだけど。

HSPに触れるに当たり、真面目過ぎ、気を遣い過ぎだと言われると表現してますが、実のところまだ踏み込んだ部分というのがありまして。

過ぎる、という言葉がミソ。

ここの部分が、良いも悪いも色々が過ぎてるという感じで、とにかくおかしい。でも、おかしいって言ってしまうと、気が触れてておかしいみたいな、頭がおかしいっていうニュアンスにとられなくもない。

なので、おかしいという言葉が使われず、過ぎるという言葉に置き換わってる。

なんて事もあるあるだったりします。

という事で、いつものような感じで、踏み込んで掘ってみるとしましょう。

えっさほいさっ。


一般的な解釈として、そうある人からも...

流石にそれはおかしい、と言われてしまう。

いわゆる、真面目というタイプで並んだとしても、感じとってる部分が意外とズレてしまうんですよ。おかしいって言われる程に。

そういう部分も踏み込んで行くし、あんたは実際どう思ってるのか?を聞かれて同じだと思ってたからこそ、うっかり喋るという事もやったりしてます。

その結果...

いや、待って?あなたのその考え方おかしくない?

って、突っ込まれて、え!?って驚く事になるんですよ。

周囲から真面目と言われるタイプ、で並んでたはずなのに、踏み込み過ぎというか。そこまで考えてやってるのは、オカシイ。そういう風に言われてしまいます。

その結果、似たようなタイプだからって括ってた周囲に、コイツはおかしいから!と訴えられ、

真面目なタイプだとしても、色々踏み込み過ぎてて、こいつはおかしいし度が過ぎてるという見解の一致が不思議と発生する=真面目さすらも過ぎる

という感じに仕上がる、と。

うん。

そして、ここで終わりかと思いきや、まだまだ先があるんですよ。


それを要求されるという事

真面目、配慮が出来る、優しい、気を遣う事が出来る。

一見いい評価の様に思いますが、実際に生活してると、

要求される事も多いです。

良くも悪くも、何かしらがあった時に頼みの綱にもなりがちなんですよ。

困った時にあいつなら、は良いのですが、そこでの意見のすり合わせの時点で聞き入れてもらえる事が前提って事も多いです。

その結果、頼んできてる側のはずなのに、下手にでるどころか逆切れして引き受けるまで怒ったり、怒鳴ったりされてしまう事も幼少から多く。

結果として、人間面倒クセェになり、それによるダメージが大きすぎるので回避するようになってるだけ。

という感じです。あくまで個人的に。

そういう部分に対し、一般的や普通という言葉と自身の解釈が一致してるか?のすり合わせをしないまま、一方的に個人を決めつけてくるから、対人関係で失敗するんですよっていうね。

うん。

そして真面目さとか優しさって部分は、時に配慮とか、権利とか、自由って言葉で要求される側になるんですよね。それだけでなく、要求された側の意見って聞き入れてもらえない事も多いです。

自分たちばかりで、相手側の事みてねーだろ?が丸わかりなんですね。

そうならないようにする為の場が議論の場で、言葉での攻防戦。なのでうまく言いまわせないとだめなのですが......。

言語化と言うのが関係するのか、言葉にするより感情的になる事で何がどうあれ回避できてると、それが成功体験になってしまう。そして成功体験が心地いい物だから、感情的になる人が後を絶たないっていうね。

そして、感情的になりやすい人が良く使うのが、一般的、普通、みんな、という、自分がその他大勢側だと言う主張だったりします。すり合わせ出来てないどころか、感情的なのが面倒なので周りが収めてくれてる事に気付きもしない。

結局はそういう議論の先に、要求があり、それを飲む飲まないの話になると面倒なので、先んじてその話に行きつくのを阻止してる。

だから、真面目じゃないんだ、っていう主張を個人としてする、って感じが実際だったりします。

まぁ、個人の経験レベルでの話なんですけどね。


結局、過程で磨かれた部分もある

感受性って誰しも持ってるものだし、成長の過程や経験によっては、伸ばそうと思わなくても伸びてしまう物でもあります。

私個人としても、そういう部分があるのは把握済み。

それ故に、ネット使って発信できるまで成長してるのに、シャーマンキングのハオ様の口癖である「小っちぇな」が多い事、多い事。

自分しか見えてないというのは、主観がどうこうだけでなく、井の中の蛙大海を知らず、とも言えるんですよ。申し訳ないけど。

自分主観という井戸に居たまま、それに合った物だけを見てるから、大して世の中や世界が見えていない。違う意見に対してのアンテナも張れてない。

自分自身に対して、世界の方が広いし、世界って広義的に見れば広がりを観測出来てる宇宙という壮大レベルまで行きつくし、その先は知り得ないとしても外側が無ければ内側もありえないというね。

相反しあう側があるからこそ、それも存在する事が出来るみたいな、馬鹿げてるようで相当に深い部分に触れてるのが、私個人としての普通レベルだったりします。

なので、度が過ぎてしまうのも当たり前っていうか。なんていうか。

比較だなんだも、し続けていけば紙縒り(こより)みたいに先が細くなって狭くなる=先鋭化しちゃうんですね。

なので深い処理よろしく、そこを掘って掘ってしながら常に比較し続けて自分を変えていかないと、立ち止まったところでアウトなんですよ。

画面の切れ目が追っかけて来て、そこが来たら潰れてゲームオーバーみたいなゲームがありますが、そういうイメージだと思います。

なのでね。HSPだなんだってハマってちゃいけないし、ハマらずに常に自分を磨いて、先に進んでいかないといけない。

成長ってそういう事だと思います。

人間の体はある意味物質で、物質であるからこそ限界があり、成長がとまります。そして、その先は回避出来ない死に向かうからからこそ、衰えていくものでもあるとも言えます。

それに対して、感受性は内側の物だし、精神とか心理とか思考って、自分で広げようと思えばいかようにも広げられるし、成長させる事も出来るんですよ。

と、書いてる自身すらも、客観的にみればおかしな話をしてるとも思いますが、実際そういうタイプだし、そうやって生きて来てるので、分かってしまってる、気づいてしまってるという部分でもあります。

そして、それを成し得てるのが感受性で、気付く、感じとる、察するという部分なんですよ。

って感じでね。

意図せずして、気づいた時には更に掘り下げてるとか、磨いてしまってるとかそういう方向にも行ってしまうんですよね。

そして、結果として、その他大勢からはそれこそ馬鹿げてると言って止まってる部分にもなってしまうので、

とにかくおかしい。そういう部分にもなってしまうというか。

HSPという概念が見聞きされるからとはいえ、ね。

止まるんじゃねぇぞ......

オルガ・イツカが倒れた時のネタすら使えてしまうんですよ。

なお、そういう画像については著作権を考慮したうえで、使いませんので予めご了承くださいませ。

ということで。


あとがき

一つの方向性として、HSPという概念が示されたからどうなのか?

という部分も個人的には持ってます。

それこそ、止まるんじゃねえぞ、で、その概念にはまり込んで自分を持て囃すくらいなら、そういう言葉に辿り着けた自分自身を伸ばすなり、磨くなりして、成長させた方が良いというか、ね。

感じとる、気付く、察するという部分には、答えが全てあるわけでも無いので、立ち止まれないって部分もありします。あくまで可能性としてのスタックはするけど、何かがあったときには自然と更新、アップデートもしてしまうもので。

概念は概念でしかないんですよ。そして、概念は人間ではない。

そういう、至極当たり前の事になんで気づけないの?どの程度の感受性?って嫌でも言いたくなるんですよね。

一般的、普通、当たり前というのも、実際のところは多数派=マジョリティとしてそうあるだけという部分があるので、それが本当に正しいのか?と言われると......、

それこそ、時代が変わったとか言ってるじゃん(笑)

って感じで、正しさなんていかようにも変わり得る物だって、世の中が言ってるんですよね。

そういう部分からも、言葉にハマるのは悪手って言えてしまう物で、そう言えてしまうのも感受性が絡んでるからこそなんですよ。

という感じで、チクリと刺しつつ。

結局そういう〆になってしまうのね...。

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