1年目最後の夜によせて

2020年3月31日。新入社員最後の一日である。
22年間世話になった大阪、関西を離れ、就職を期に上京。
ネガティブな意味で「この会社しかない」と決意したこの会社で今、営業ではなく人事をしているのはある種の運命だと考える。

結果から見て惨敗した私の就活における反省点は、無計画にダラダラと続けた点に尽きる。
いろんなイベント、企業説明会に行けるだけ行きまくり、「いつか運命の企業が現れる」と信じた結果が、内定1社。
しかも、数学どころか算数すら躓く自分では考えられない金融業界。
志望動機不要なこともあり、入社前はこれからどんな仕事をするかのイメージすらなく、「この会社で一生を終えることはない」という曖昧な気持ちだけが胸にあった。

蓋を開けると配属はまさかの人事で、自分も同期も研修講師をしていた親会社の先輩社員も、全員驚いた。予想外過ぎてすぐグループ会社の同期に広まった(グループ全体で90名程の同期がいるが、人事は当然一人である)。
ほんの一年前採用される側だった大学生が、今度は採用する側になった。とはいえ配属されたての赤ちゃんに面接させるわけもなく、当分の間はメール送付や履歴書の整理などの事務処理に徹する。

20卒の採用が落ち着いた9月頃、21卒の計画を立てるというミッションを仰せつかった。このころだろうか、キャリアについて改めて考えるようになったのは。細々と続ける20卒の面接や、個人的にMatcherで接点を持った学生との面談を通し、多種多様な経歴、志向に触れた。
プライベートでも、6月末で爆速退社したグループ会社の同期、会社の制度を使い新規事業の立案をし、この3月末で退社し独立する大学時代の友人など、キャリアを“考えている”人の姿を見て考えさせられた。

東京に来て最も良かったことは、こうした「多様な働き方のリアル」が見えたことにあると思う。あんな大企業、こんな有名企業の話を聞けるのは就活生だけ!と囃し立てる向きもあるが、それは仕事を“就社”と捉える立場でしかない。“就職”とはキャリアプランを描くことであって、古き良き日本のキャリアプランが安心できる人にとっては就活の情報量で十分でも、そうでない人には足りなすぎる。就職して自社を知り、友人関係を広げて他社を知り、働き方のイメージを付ける。東京という人も情報量も多い場所、かつ地元ではなく知り合いの少ない土地だからこそ、自分はのびのびと行動できたし、いろんなキャリアに触れる機会を掴めたのだと思う。

今後のキャリアが明確なわけではない。21卒の計画はOJT指導員の作った骨組みがベースになっており、正直やり辛さもある。22卒で一から計画してその行く末を見届けたいし、そうなると23卒でリベンジしたい/もっと変えたい、という気持ちが生まれるかもしれない。そうすると4年目の夏に転職か。少し前までは営業に異動した後に人事へ戻り、営業経験者のいない人事を変えるということも考えたが、それは組織に依存し過ぎだと警告してくれた友人がいてやめた(1年独立起業マン)。複業の実現も視野に入れて、2年目も自分をアップデートしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?