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名著『野生の思考』とウルトラマンの共通点

つい先日、公開日が延期となってしまった『シン・ウルトラマン』
昨今コロナウィルスの第4波が〜などと報道されており、残念な反面、仕方ないとも思うこの頃である。

予告動画の修正版が投稿され、ますます公開が待ち望まれる今作。

今回は、予告映像に映っていた1960年代の構造主義の名著『野生の思考』と、以前投稿した記事の内容も踏まえて語っていきたいと思う。

前提として、これまでの記事の内容を要約

企画・脚本の庵野秀明はウルトラマンをあくまで一宇宙人と認識しており、
おそらく『シン・ウルトラマン』では従来の「ウルトラマン=ヒーロー」象からの脱却をはかっている。(下記記事)

そして怪獣からは福島第一原発への意識。
登場が確定している2体の怪獣は、原子力発電が取り入れられ始めた1960年のエネルギー問題をバックボーンに誕生している。(下記記事)

さらに、映画のコピーは「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」という言葉が採用されている。

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この言葉は、元々初代『ウルトラマン』最終話のセリフだ。
自らの命を捨ててまでハヤタ(ウルトラマンに変身する地球人)を救おうとするウルトラマンに対し、上司のゾフィーが投げかけた。

わざわざこの言葉をチョイスしてくる事から、ウルトラマンと人類の関係性に焦点を当てていく姿勢が垣間見える。

さらに特筆すべきは、予告動画に登場した名著『野生の思考』の存在だ。

ざっくり解説『野生の思考』とは

『野生の思考』は、1962年にフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースによって執筆された。
「構造主義」という哲学思想が流行するきっかけとなった本である。

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1960年代のヨーロッパでは「実存主義」という思想が信じられていた。
ざっくり言えば「人間一人一人の存在を大事にし、どう生きるか考えよう」というものだ。

この思想から当時のヨーロッパでは
「我々人間は、日々良い方向へ進歩している」
あえて悪く言えば
「文明の進んだ自分たちは、未開の地の野蛮な人々よりも進歩した存在である」
と考えられていた。

これに対し『野生の思考』では全く逆の内容が記されている。
「未開人と文明人の思考は優劣のつくものではない。
ただそれぞれの仕組みの中で生きているだけであり、未開の地域の人々からも学ぶべき事はある。」

「実存主義」と真っ向から対立する「構造主義」的な考え方だ。

「構造主義」とは
「人間の社会的・文化的現象の背後には目に見えない構造がある」
というもの。この思想の流行により、実存主義は粉砕されてしまった。

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ざっくりまとめると
「人発進でアプローチを行うのが『実存主義』」
「社会構造発進でアプローチを行うのが『構造主義』」
といった具合だ。

注目すべきは、執筆の背景

私が注目すべきと考えるのは、「構造主義」そのものでは無く、
『野生の思考』執筆の背景、そしてその後の批判だ。

著者のレヴィ=ストロースは、27歳で人類学の研究の為にアマゾン川流域の先住民を調査し、その経験が『野生の思考』執筆に大きく影響した。
彼らとの交流の中で、彼自身、何か思うところがあったのだろう。

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『野生の思考』は、後年こんな批判を受けている
「未開人を美化し過ぎている。
結局のところ「未開人を研究するという視点」そのものが上から目線じゃないか。」

個人的には何かを語ろうとする行為そのものが「上から目線」であるので、学問の世界に生きる人間にこの指摘をするのはナンセンスだと思うのだが、それは別の機会にお話しするとして。

この「悪意のない上から目線」こそ、『シン・ウルトラマン』に『野生の思考』が登場する理由なのではないだろうか。

「レヴィ=ストロースと未開人」
「ウルトラマンと地球人」

レヴィ=ストロースとアマゾン川の先住民。
ウルトラマンと地球人の関係は良く似ている。

「野生の思考」の二元論に則って言うなら、ウルトラマンは「文明人」で、地球人の方が「未開人」だ。
全裸で大気圏突入し、別の惑星とも交流のある巨大宇宙人と、宇宙進出すらまともに出来ない小さな地球人には、文明や力に圧倒的な差がある。

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(おそらく)無償で地球を守るというのも、上から目線のなせる技だ。これだけ文明の差があれば、「対等な目線」で接する事そのものが不可能に近い。

こういった観点から、庵野氏は「そんなに地球が好きになった」ウルトラマンと、「そんなに先住民が好きになった」レヴィ=ストロースを重ねたのではないだろうか。

今回はここまで、次回は『シン・ウルトラマン』のテーマとなると睨んでいる移民問題を、妄想を交えて語っていきたい。

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