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怪獣特撮は28歳に創られた

ウルトラシリーズの成り立ちと、第二次大戦後の沖縄は、切っても切れない関係にある。

28歳にして、初期ウルトラシリーズ3作品(『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』)の企画・シリーズ構成を手掛けた金城哲夫という男がいる。

金城哲夫

彼の出身地沖縄は、当時「外国」だった。金城は日本と沖縄の架け橋になろうとし、生き急ぎすぎた結果37歳という若さで亡くなった。

金城哲夫の生涯

0歳  東京の芝で誕生
1歳  親と共に沖縄に帰郷
3歳  太平洋戦争勃発
6歳  終戦
16歳 東京の玉川学園に入学
24歳 TBSのテレビドラマ『絆』で脚本家デビュー
25歳 円谷特技プロダクションに参画
26歳 東京オリンピック開催
28歳 『ウルトラQ』放送 脚本・脚本監修・シリーズ構成を担当
    『ウルトラマン』放送 脚本・脚本監修・シリーズ構成を担当
29歳 『ウルトラセブン』放送 脚本・脚本監修・シリーズ構成を担当
31歳 沖縄に帰郷
    沖縄返還の合意
34歳 沖縄返還
37歳 沖縄海洋博開会式の演出を担当
37歳 海洋博閉幕
    自宅で階段から転落して死去

沖縄と日本の架け橋になろうとした男

1938年、東京芝で誕生した金城は、生まれてすぐに沖縄に移住する事になった。太平洋戦争・沖縄上陸戦を生き延び、16歳で東京の玉川学園に進学する。

沖縄では、沖縄の人を「沖縄人」(うちなんちゅう)、
沖縄以外の日本人を「大和人」(やまとんちゅう)と呼ぶ。

多感な時期を大和人達と共に過ごした経験は、自分が沖縄人である事を強く意識するきっかけになった。
そんな彼は、在学中に「沖縄慰問弾」結成に携わっている。
要は、同級生の希望者を連れての沖縄旅行だ。
しかし、金城は仲間達とその際の出来事をレポートにして、全国の高校に配ったという。単なる旅行以上の想いがあったことが窺える。

その後25歳で円谷特技プロダクションに入社。
番組作りのコンセプトやストーリー作りの要であった「企画文芸部」の主任として頭角を表していく。

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しかし、ビジネスでなく「芸術品を作っている」という考え方が強かった当時の円谷プロは、一作一作に莫大な金をかけていた。
TBSからは1話につき550万円程度の制作費を受け取っていたが、全て終わってみると実際の経費が1,000万円近くかかっていた事もざらであったという。
これでは作れば作るほど赤字だ。

その後、円谷プロは経営状態が悪化。
社員を3分の1以下にするという大リストラが行われ、企画文芸部も廃止に。沖縄の発展を気にかけていた金城は、それをきっかけに退社。

その後は沖縄に帰郷し、キャスター、ラジオパーソナリティ、沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍する。

しかしキャスターの降板、海洋博の際の一部の沖縄県民との確執に苦しむ。仕事の理想と現実のギャップから、次第に思いつめるようになり、アルコール依存症になってしまう。

白昼から泥酔していたところ、自宅の階段で足を滑らせ、
脳挫傷のため37歳で死去。

事故がなければ、数日後には治療の為、福岡の病院に入院する予定だったという。

「ケイチョウフハク」な脚本

意外なことに、彼が沖縄や米軍に関して、語ったりこだわりを見せていた様子はなかったと言われている。

当時の彼と仕事を共にしていた、上原正三をはじめとした当時の円谷プロのスタッフ幾人かから言及されている。

(※これに対し、『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』では、当時から制作スタッフとの飲み会によく顔を出していた著者が
「金城さんは復帰前の沖縄を常に気にかけていて、沖縄で映像産業を育成したいと願っていましたから〜」と語っている。
どちらかの思い違いか、相手を選んで話していたのか。もはや真相は闇の中だ。)

ウルトラシリーズ執筆時に沖縄時代の友人から「沖縄人沖縄人というけれど、君は沖縄のために何をしたのか?」と問われショックを受けたというエピソードがある。

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また、当時とある雑誌のインタビューでも、自らについてこう称していた。

非教育的でケイチョウフハクな怪獣テレビ映画の脚本家になってしまった。
TVの脚本家なんて怠けずに努力すれば、ゲンナマがまあまあ入ってくるモンだから、それに目がくらんでいつの間にか地獄の使者みたいになっちまったってわけです

彼自身、沖縄の為に脚本を書いてきたわけではなかったのかも知れない。

クリエイターである以上

しかし、私はこの沖縄人というバックボーンが無関係であったとは思えない。
クリエイターは「動物」だと思う。
良い悪い関係なしに、無意識のうちに自分の価値観を創作物に投影する。

私自身がクリエイティブ関係の仕事をしているので、分野は違えど確信を持って言える。
ナレーションなら、声や喋り方に人柄・気分・思想がにじみ出る。
内気な人はどんなに取り繕っても、内気な響きや喋り方をする。日常的にそう言った声を出すよう、体に指令を出し続けているのだから、体がその発声方法に慣れて定着してしまう。
むしろそれこそが、機械に真似できない「人格」という付加価値だと思う。

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ましてや脚本は、無から有を作り上げる作業だ。
その人が世界をどの様に観ているのか、何に価値を感じ何を許せないか等が如実に反映される。

金城は、沖縄の為に尽力し、アルコール中毒になるまで自らを追い詰めた人物。語らずとも並々ならぬ思いがあった筈だ。
例え沖縄の為に書いていなくとも、沖縄と日本の狭間で生きてきた、その価値観の元で作られた筈だ。
計算しようが意識しようが、消そうとして消せるものではない。

次回に続く


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