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人間の「品種改良」、あなたはどう思う?

自分が変化しない状態で他人に変化を求めるのは怠惰で傲慢だ。
そんな状態では関係は長くは続かない。当たり前の話である。

これは人間関係だけ言える話では無いと思う。

近年、もはや改めて語るまでもなく、地球温暖化やエネルギー問題など
各所で様々な問題が叫ばれている。

乱暴にひとまとめにして仕舞えば、これらは「自然界に強いている変化」と
「人類の変化」の釣り合いが取れていないから発生する歪みだ。
自然に無理を言わすなら人類もまた何かしらのフォロー・ルールの変更が必要だ。当たり前の話である。

SDGsなどは現状、正しく浸透し切れておらず、現状ビジネスの為に使われている側面が強い為、個人的にはシンギュラリティに期待している。

だが過去の特撮作品に面白い「提案」を見つけた。
奇策の類と言った方が良いかもしれない。
これを実行できれば、現状人類が抱える難題の大半が解決、
もとい大幅に先延ばしにできるだろう。

そうか、人が小さくなれば良いんだ!

それが『ウルトラQ』18話「8分の1作戦」
過去の投稿で何度も取り扱った、

民族大移動による東京の人口増加を受け、制作されたストーリーだ。

あらすじは以下の通り

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世界第一の人工密度を有するマンモス都市、東京では奇妙な人口対策が行われていた。
増加の一途をたどる人口問題を解決するために、人間の体を1/8の大きさに縮めようというのである。そうすればスペースが六十四倍にも使用出来て、人間ラッシュは緩和されるというのだ。
由利子は、ひょんなことから1/8計画の希望者と間違えられて、人間縮少機の中に入れられてしまう。所持品として、ミカン箱大のカメラと野球バット大の鉛筆をわたされて、由利子は失神してしまった。
縮少された由利子は人のいい大男に助けられて、現実の世界に脱出する。
そして、淳と一平に会うために、1/8の由利子は困難な旅をつづけ、ようやく星川航空の事務所にたどりついたのである。
しかし、事務所には黒枠の由利子の写真が飾ってあった……。
                 「ウルトラQ・あらすじ集」より引用

人間の「品種改良」は既に行われていた?

物語の中では、小型化社会を恐ろしいものが如く扱っていたが
正直、解決の糸口の見えない問題が山積みな現状を鑑みるに、なしではないと思う。

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当然、今の技術では作中の様な「小型化マシン」は作り出せない。
しかし精子・食事などに手を加え、
徐々に人間の「品種改良」を行っていく形なら可能ではないか?

古代からの日本人の平均身長を見て見ると面白い事がわかる。

古墳時代は男性の平均身長は163センチ・女性152センチ
江戸時代は155〜156センチ・143〜145センチ
現代人は171.7センチ・154.5センチ

古墳時代から江戸時代まで徐々に下がっていき、
現代までに爆発的に伸びている。
大きな理由の1つとされているのが、動物性タンパク質の摂取量の違いだ。
意図せぬ、人間の「品種改良」と言える。

似た様な事が昔から行われているのなら、恐る必要は無い。
最近、菜食主義者の声が大きくなってきてもいるし、ちょうど良いのかもしれない。私は肉好きだが、人工肉の研究も進んでいるそうだし、
「本物」と同じ味が楽しめるのなら文句はない。多くの肉好き同志も、共感してくれるのではなかろうか?

確かに一見残酷っぽさは有るが、小型犬や競馬業界などで、動物相手に散々行ってきた事だ。人間なら殺処分されないし、痛みも伴わない優しく緩やかな革命と言えるのではないか。

究極の管理社会

とはいえ、作中のままの手段では問題がある。
「管理」する側の人間が必要な点だ。

作中では、選ばれた希望者のみが小型人類の専用の区画に移住する規則となっている。通常サイズの人間がそれらを管理するのだ。
区画に入って来た通常人は、さながら怪物。

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おまけに管理しやすい様に、小型化した人間は、名前ではなく番号で呼び合う事になる。作中では「不平等が無い」などと言われていたが、囚人めいていてちょっと嫌だ。

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あらゆるサービスはタダ。働く必要も無い。
必要なものは「外の世界」から運ばれてくるから。

正に究極の管理社会だ。
囲われた世界で暮らす人類の姿は『進撃の巨人』と被るものがある。
当然あらゆる主導権は管理する側が握るわけで、争いのタネになることは容易に想像できる。
これでは解決どころか、新たな問題を生成してしますのだ。
巨人の食い物にされるのは、物理的にも制度的にも嫌だ。

【個人的結論】シンギュラリティ来てからにしよう

大型人類のみを残す形にするくらいなら、
人類全てが小型化するしかない。

だがそれでは現状の問題を解決し切るには不十分だ。
人類レベルで見たときの生産力が落ちてしまうのが問題なのだ。

ならば自動・もしくは操作可能な、機械だけ残すのはどうだろうか。
シンギュラリティを迎えれば、機械が機械を管理する世界が訪れる。

生産性は「彼ら」に確保してもらい、我々人類は小型化により消費を抑える。これで優れた生産力を確保したまま、労働をはじめとするあらゆる問題から解放されるのだ。解放された人類は、まあ好きなことでもやっていればいいんじゃないかな。盆栽とか。

素晴らしい世界じゃないか。機械が反乱してこなければいけど。

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