当たり前のような時間の尊さを、今痛感している。
2022年のLIONさん公式noteの冒頭で、習慣の定義が紹介されていた。
「きまり」を破ると、私の場合なんだか気持ち悪くなる。
誰に見られているでもないのに、誰かに弱みを握られてしまうような気がするし、いつか「きまり」違反が積み重なると罰金を支払ったり、ペナルティを課せられたりするんじゃないかってソワソワする。
私、キレイ好きとは対極にいる人間なので、ネイティブ「風呂キャンセル界隈」だったりするし。
疲れすぎている日はお風呂も入らず顔も洗わず意識失って、そのまま朝を迎えて天然の状態で息子の保育園登園とか行ったりしてます。(先生方、お願いです気づいていないでくださいアーメン)
ただ流石に、家に帰って仕事始めるまでにサクッとシャワー浴びてるけどね。
というわけで、私の場合「お風呂に入る」だったり、「顔を洗う」だったり、だいたいの人が習慣にしていることは、恥ずかしながら私にとっては多分習慣になってない。
(不潔な人間だということを強調したいわけじゃないですが結果的にそうなっちゃってますよね滝汗)
じゃあ、私の習慣ってなんだろう?
おそらく夜、息子の眠っているのをそばで感じながら床につくことだろう。
先月、息子を置いて初めて外泊した。
国内どころか、飛行機に乗って海外まで足を運び、3日間家を留守にした。
大学時代からすごく仲良くしている、韓国人のお姉さんの結婚式。
アルバイト先で仲良くなった方で、夫も同じバイト先で働いていたので共通の友人だ。
同時にお子さんも授かり、お腹にいると聞き、いてもたってもいられなくなった。
本当は家族みんなで行きたかったけれど、イヤイヤ期真っ只中、現地の食事やオムツなどの必要品調達など、わからないことが多すぎるということになり、夫と相談して私一人で行くことにした。
渡韓自体は本当に楽しかった。
結婚を祝いに行った立場なのに、お姉さんご夫婦には本当によくしていただいて。
ソウル市を抜けて、お姉さんご夫婦が住む市まで下りそのまま自宅に泊めていただき、結婚式のあとは久しぶりの韓国だからとあちこち連れて行っていただいたりと本当に素敵な思い出になった。
でも、布団に入り、その日の出来事を振り返っているとき。
すごくソワソワするのだ。
息子の細かく刻まれていく、小さなかわいい寝息が聞こえない。
しっかりと閉じられた瞼に植っている、深く豊かなまつ毛が見当たらない。
寝汗でしっとりとした前髪も、布団を蹴っ飛ばしてもなお若干ぽかぽかしている小さな手も、すぐそばで感じられない。
今、息子は元気にしているのだろうか。
明日乗る予定の飛行機は、無事に飛んでちゃんと息子のもとに戻れるのだろうか。
また私は、あのかわいい息子をもう一度この胸に抱けるのだろうか。
距離というものは、姿が見えないというのは、想像以上に影響力をもっていたようで。
考えても仕方のないことばかり頭に浮かんで、気づけばスマホの中の息子の動画や写真を眺めては気を落ち着かせるようになった。
(かえって息子が寂しがるので、この間テレビ通話などはしなかった)
息子のそばで眠りにつくことは習慣でもあり、私の心の支えにもなっていたみたい。
小さな富士山の形をした唇からこぼれ落ちる綺麗なヨダレを眺めながら、当たり前のような時間の尊さを、今痛感している。
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