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当たり前なんて世界のどこにも存在しないことを、知ったのはいつの頃か。


「家族」というのは最も身近な「他人」である、という言葉を本か何かで読んだのは、中学生の時だった。

ああ、結局は他人なんだ。父も母も弟も。

家という建物の中は、何がおきているか他人には分からない。

外からは何も見えない。

どれだけ嫌だと泣いても。

朝が来ることが怖くて、眠れず苦しくても。

助けてくれる人なんて来ない。

それでも誰かを頼りたかったし、まだまだ誰かに甘えたかった、あの頃。

家族との接し方に悩んでいた私は、強い衝撃を受けた。


「身近な他人」である家族が気にもとめない事を、家の外側にいる、血の繋がりも何もない他人が気付いてくれる日は、来ないと。

その言葉を知ってから静かに、諦めと寂しさを噛み締めた事を、昨日の出来事のように思い出せる。





普通、常識、当たり前…そんな風に初めから、決めつけるように接される事が、私は苦手だ。

今日、今この瞬間に至るまで、全く別の人生を歩んできているのだから、相手と自分は根本的に違う人間なのだと。

自分以外の人はみんな、それぞれ異なる価値観を持った、違う人間なのだと…言葉を発する前に数秒でいいから、少しだけ考えてみて欲しい。


貴方の当たり前は、他人からみたら非常識かもしれない。

それが普通でしょう?って、会話の中でよく聞くけれど。

普通じゃない事は、何かいけない事なの?

貴方の思う「当たり前」とか「普通」から外れて生きている人は、きっと貴方が考える想像以上に多いと思うんだ。





私はね、普通になりたかった。ずっと。

某国民的アニメの世界の、恵まれた家庭に生きてみたかった。

けれどもう過ぎた時間は戻らない。

たら、れば、なんて言ってらんない。

だから今までの全部を糧にして笑って生きていくの。

これは、宣言。





愛してくれる、誰より大切な彼女の為に。

死にたくなるような眠れない夜を耐えて、浅い眠りを遮る朝日に眉を顰めながら、今日も私は呼吸する。

雨上がりの水たまりを踏んで。

過去に負けず今この瞬間を、幸せに過ごす為に。









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