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惑わされてしまう関係(『清少納言集』と藤原実方)

何度も書いてますが、やはり私はこの二人が気になってたまらないのでしょうね。

清少納言集を読んで、やはり思案してしまいます。

二人はどのような関係だったのか。

今回は、読んで下さった方も惑って欲しいと思い、まとめました。

疑問の列挙なので、きっと参考にはならないと思いますが、おつきあいください。

ちなみに、ここでいう『清少納言集』は『和歌文学大系 賀茂保憲女集 赤染衛門集 清少納言集 紫式部集 藤三位集』の中のものです。


①陸奥に宛てた歌?


世中いと騒がしき年、遠き人のもとに、萩の青き下葉みたるに書き付けて、六月ばかりに
これを見よ上はつれなき夏草も下はかくこそ思ひ乱るれ
(清少納言集)

清少納言と世中が騒がしい年と言うと、連想するのが長徳の変。
「遠き人」とは、その前年、陸奥の国司になった藤原実方ではと言われています。

“表向きは澄ましているけど、内心はどうすればいいのか悩み苦しんでいるのよ。”と同情を誘う感じでしょうか。

少納言と仲がよかった受領クラスの貴族は何人もいるので、簡単に実方とは言いがたいですが。


男が女の文見んといへば、おこすとて
名取河かかる憂き瀬を踏みみせば浅し深しといひこそはせめ
(清少納言集)


陸奥の歌枕「名取河」が入っています。ただ、「瀬」や「浅し深し」を導くための言葉なので、積極的にはとりがたく。

“このようにつらい世の中、文など見せたら、あなたへの気持ちが浅いか深いかなんて言ったりするのでしょう?”

意訳するとこのような感じでしょうか。ちなみに名取には、実方の墓があります。

載せていませんが、同じく陸奥の歌枕の松島を詠み込んだ歌もあります。

『松島日記』という清少納言が陸奥を旅した記録があるそうです。どうやら後世の創作らしいのですが、ついそれを連想してしまいます。


②やっぱり秘密の仲?


こちらはちゃんと実方の名前が出てきます。

内なる人の、人目包みて「内にては」といひたれば、
実方
出づと入ると天つ空なる心ちして物思ひする秋の月かな

実方ではなく、藤原為頼という歌人の可能性もあるそうですが…。

宮中で会うのは、人目があるので…と言われ、秋の月が雲で見えたり隠れたりするのに一喜一憂するみたいに、君に振り回されているよ。やれやれ。

(こういう、清少納言ではない、○○ではないという歌が時々あります)

別の記事に書きましたが、実方自身もは清少納言が定子に仕えていると聞いて、訪ねたことを残しています。

『実方集』より

もとすけがむすめの、中宮にさぶらふを、おほかたにて、いとなつかしうかたらひて、人には知らせず、絶えぬ仲にてあるを、いかなるにか、久しうおとづれぬを、おほぞうにてものなど言ふに、おんなさしよりて、「忘れ給にけるよ」といふ、答(いら)へはせで、立ちにけり、すなはち
忘れずよまたわすれずよかはらやの下たく煙(けぶり)したむせびつゝ

返し、清少納言
葦の屋の下たく煙つれなくて絶えざりけるも何によりてぞ

清少納言集にも採られています。

ひそかに恋は続いていたのでしょうか。

それとも、実方としては、今更にしてやられたと思い、歌を送って、茶化した感じだったのでしょうか。


③小一条邸に仕えていた?


実方の養父藤原済時が子を亡くしたので、少納言が悼歌を贈り、それを実方が返しています。

右大将の子なくなし給へるが、かへり給ふに
神無月もみぢ葉いつも悲しきをこごひのもりはいかが見るらん

かへし 実方の君
いつとなくしぐれふりしくたもとにはめづらしげなき神無月かな

この子が誰なのかはわかりません。

済時に歌を送るほどのつきあいがあったのでしょうか。返歌は実方が代わりにしたようです。

また、実方集には「対の御方の少納言」という女性が登場します。彼女は清少納言ではないかという説もあるそうです。

しかし、「少納言」だけでは断定できず。例えば、枕草子には「少納言の命婦」という女官が出てきますしね。


他にも関連の歌はありますが、全部あげられないので今回はここまで。

きっとはっきりわからないところが、興味をそそるのでしょうね。

妄想がとまりません。

《参考》

和歌文学大系 / 久保田淳 監修
賀茂保憲女集 赤染衛門集 清少納言集 紫式部集 藤三位集

『新日本古典文学大系 平安私家集』岩波書店


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