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愛をめがけて

灯台の話だ。 わたしが少女から大人になるまで、そして今も、ずっと地続きのどこかで生きている人。ここにいるよと光り続けている人。 わたしにとってあの人の音楽はしなやかなシルクのようだと、ある日ふと思った。人生を美しく包んでくれたり、脆くなった部分を補強してくれる。 あの人が魂を削り出し、命を燃やすことで放つ光を、これまでずっと10年以上、わたしはそうやって大切に受け取ってきたけれど、その光を生み出す作業は、どれほど孤独で苦悩に満ちたものなのだろう。「自分はいちばん嫌われる

    • 手を

      人生はむなしい。 その思いこそが、ここ最近、ずっと頭のど真ん中にあるものだ。 恋人や友達と素敵な時間を過ごしても、これは自分の身に余る幸せだと分かるから少し悲しくなるし、小説や漫画を読んだり、映像作品を観たりして心の奥底から揺さぶられるような感情に出会っても、それは結局、あくまでも誰かの人生を傍観しているだけだから、たとえ紙やカメラの奥にいるその人が世界を救っても、自分自身は何も変わらないと知っている。 おまえはちゃんと人並みに幸せだよ、幸せだってことにしておこうよ、自

      • やさしい轟音を浴びた。あたたかい暗闇で泣いた。〝それでも世界が続くなら〟がいてくれて良かったよ。

        • 昔から、主に職場へ向かう途中に「がんばれ、がんばれ、がんばれ」と小さな声で自分に向けて唱える癖がある。今では些細な家事をするときや、ちょっと外に出なければいけないときにも「がんばれ」。生きることは闘いだ。

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        愛をめがけて

        • やさしい轟音を浴びた。あたたかい暗闇で泣いた。〝それでも世界が続くなら〟がいてくれて良かったよ。

        • 昔から、主に職場へ向かう途中に「がんばれ、がんばれ、がんばれ」と小さな声で自分に向けて唱える癖がある。今では些細な家事をするときや、ちょっと外に出なければいけないときにも「がんばれ」。生きることは闘いだ。

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        • 1本

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          物語と音楽が好きだ。 物語と音楽だけはわたしを傷つけることなく、ひとりぼっちのその先へと逃がしてくれる。 空を見上げるのが好きだ。 わたしがどんな愚かしい生き方をしていても関係ない。誰のためでも、誰に愛されるためでもなく、ただそこにある美しい空は、心に満ちた悲鳴を少しずつ涙で滲ませてくれる。 誰かが、正しい立場から、正しい立場にいるという自覚を持って、その切っ先の鋭さなんて考えもせずに投げてくる言葉。 「このままでいたって未来は無い」 「やらない理由を探してるだけ」

          プルメリア

          これからどうせぐだぐだと書き連ねるので、まず結論から言ってしまうと、歌の沼に落ちた。 YouTubeもTikTokもそこまで興味がなかったわたしが、今では空き時間のほとんどをそこに費やしている。 むかしから音楽は好きだった。 いろいろ聴いてきたが、中学生のときに「ハモネプ」というアカペラバトルの番組を観始め、すぐに虜になった。 だって人間が、声ひとつ、マイク1本で臨み、歌声を重ね合わせることで、たっぷりとしたハーモニーを作り出す。もちろんそれはリードやコーラスだけでは

          プルメリア

          これは、9月16日に、ある事情から「もうだめかも」と思ったとき、ぜんぶを諦めながら書いて、投稿することができなかった下書きです。 何度も読み返し、そのたびに当時の自分の悲しみを思い出すのと同時に、その痛みがまったく癒えてはいないことを再確認していました。 夜に死んで、次の朝に生まれ変わり、まったく別の人間かのように生き生きと暮らせればいいのだけど、現実はそうではありません。 未来に関する話がなによりも怖いわたしだから、自分で「これが最後」と思って書き出した言葉たちはどれ

          地獄と千の夜

          どんな地獄にいようとも、会いたい人がいるということは、一体どれほどの光になり得るだろうか。 心身を壊してから、大好きなAqua TimezやLittle Paradeの曲をほとんど聴かなくなっていた。 情けないような、恥ずかしいような。尊敬しているし、愛するがゆえに合わせる顔がない、みたいな気持ちだった。 それでもファニコン(会員制のファンコミュニティアプリ)はしっかりチェックしていた。ときどき配信をしたり、歌を載せてくれたりする。 去年Little Paradeのツ

          地獄と千の夜

          一昨日とその前の日、わたしはもう、起きてから寝るまでのあいだ、といっても寝るのは朝で起きるのはお昼前。ご飯もろくに食べずに座椅子の上で丸まり、スマホとにらめっこしていた。いくつもの求人サイトを、とにかくずうっと見ていたのだ。 やっぱりわたしは、いつだかの記事でふんわりと綴ったささやかな夢の話以外に、こういう仕事をしたいな、という自分の願望がまだ見つけられてない。 恥を忍んでここに告白するが、わたしはとにかく後ろ向きで、諦念に満ち満ちており、怠惰で臆病な人間である。 前職

          推しの話を聞け!5分だけでもいい

          皆さんには、推しがいるだろうか。 アイドルや俳優、芸人、アナウンサーなどの芸能関係から、よく行くショップの店員や市役所の職員などの一般人。もちろん二次元も。 芸能人は省くとして、わたしには、過去にひとり、そして今ひとり、現在進行形で激烈に推している方がいる。 まず現在の推しの話をしよう。 邂逅は2年前の5月のことである。なんとなく幼馴染みとともに某駅に降り立ち、古着屋などをめぐって、さあディナーにしようと向かったのは幼馴染みがあてにしていたお店だったのだが、そこが休業

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          〝4630〟を思うたったひとりのあなた

          タイトルにあるのは、毎日嫌というほどニュースで流れてくる数字だ。ほとんどの方がピンとくるだろう。 4月8日、山口県阿武町で問題は起こった。 その給付金はコロナ禍において低所得世帯を支援するためのもので、4月6日、職員がパソコンで支給対象463世帯分のデータを作った際、誤って名簿の一番上にあった1世帯に463世帯分を振り込む内容を記した依頼書を作り、町が口座を持つ銀行に別の職員が提出してしまった。振り込まれた方は市からの組戻しを拒否して全額使い込んだ、というのが全容である。

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          旅するわたしたち

          窓を閉めてから半年が経とうとしている。 半年。もう半年も、わたしはこのまま。自己嫌悪と無力感で潰れそうな日々だ。 ネイリストさんや美容師さん、その他知り合いに、仕事のことを訊かれるのが心底つらい。世間話のつもりなのだろうが、「まだ休憩中で〜す」なんて軽口を叩きながら、いつも胸の底からはひやりとしたものが湧き上がる。 主治医や周りの人たちは「ゆっくり休むべき」と言ってくれるのだけど、この状態にどっぷりと浸かるのは間違いだということは、誰に言われずとも分かっている。 実家

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          僕らのミュージック

          4月26日、それでも世界が続くならのワンマンに行ってきた。場所は両国サンライズ。 ポリープを患っているボーカル篠塚将行(以下しのくん)の声帯手術前、最後のライブだった。 メンバーも言っていたけれど、もし手術後、しのくんの声が出なくなったら?そう考えると不安で不安で悲しくて苦しくて、目の前のすべてを少しでも覚えておかなくちゃと、わたしは2時間半、波打つ感情をねじ伏せながら立っていた。 そんなせつない思いも相まって、序盤から普段よりもめそめそしていたのだが、まず「参加賞」か

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          世界分の1の話

          誰だって、笑顔で誰かの地雷を踏み抜いている。 誰だって、自分はそうではないと思いながら、思い込みながら、ばっさりと誰かを傷つけているのだ。 それはわたしも、あなたも。 思いやりを忘れること、心をはかり間違えること、いろいろあるけれど、正しくありたいと心から願う。 「正しく」とは、正論のことではない。正論を振りかざすのは正しくない。正しい立場で正しい言葉を使うのは気持ちいいし楽だろうけれど、それにやさしさは伴わない。 言われたくないであろうことは言わない、でもそれが必要

          世界分の1の話

          それでも世界が続くなら

          命を見た。 命が激しく燃えるのを見た。 場所は千葉LOOK。過去何度も足を運んだライブハウスだ。 その小さなハコで昨日、それでも世界が続くなら(以下それせか)というバンドのワンマンライブがあった。結成10周年と、空席だったドラムに新しいメンバーを迎え、ほぼ中止していた音楽活動を再開することを記念してのライブで、今回はその追加公演だった。 わたしがそれせかと出会ったのは、ちょうど高2と高3の間の春休みくらいだったと思う。それからずっと約8年、大切で、わたしが今でもライブに

          それでも世界が続くなら

          太陽の人

          人生はきっと、海を歩くことと似ていた。 どんなに凪いでいても、海の中で歩みを止めてしまうと、あっという間に砂に足を取られて転んでしまう。 秋ごろのわたしはきっと、あの日と同じように身動きが取れなくなり、波にのまれてしまったのだ。あの日と違ったのは、溺れかけたその瞬間に手を取って起こしてくれた人がいるかいないか。それだけだった。 きっかけは、数年ぶりに先代アイフォンの電源を入れたことだった。当時のロック画面も待受も、すっかり忘れていたけれど、Aqua Timezでうれしか

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