それでも世界が続くなら
命を見た。
命が激しく燃えるのを見た。
場所は千葉LOOK。過去何度も足を運んだライブハウスだ。
その小さなハコで昨日、それでも世界が続くなら(以下それせか)というバンドのワンマンライブがあった。結成10周年と、空席だったドラムに新しいメンバーを迎え、ほぼ中止していた音楽活動を再開することを記念してのライブで、今回はその追加公演だった。
わたしがそれせかと出会ったのは、ちょうど高2と高3の間の春休みくらいだったと思う。それからずっと約8年、大切で、わたしが今でもライブに通う、唯一のバンドだ。
それせかの曲は、言ってしまえば「昏い」。メンバーの実体験を基に、家庭環境、いじめ、心の病気など、リアルで痛々しい心情を綴った曲が多いのだ。
最近話題の「タコピーの原罪」という、ジャンププラスで短期集中連載されている漫画をご存知だろうか?あの作品も学校でのいじめ、いくつかの複雑な家庭環境を通じて加害と被害、そして被害から加害に転じる様子を壮絶に、それでいてきめ細かく描いた衝撃作なのだけど、もし万が一映像化する日が来るのなら、EDはそれせかを推したいと、わたしはひっそり考えている。
それせかのライブでは珍しいことに、MCがほとんどない。会場も基本的に常に薄暗く、演奏中、観客はぴくりとも動かない。たまにふんふんと頭を振るなどしてリズムに乗るくらいで、その場から動いたり手を挙げたりする人などはいない。少なくとも、わたしは見たことがない。みんな、目の前で起こっているすべてを受け止めるのに必死なのだ。派手派手しい照明や演出を使わないことに関して、「音楽だけでいいから」と理由を語っているのも彼ららしい。
そんなわずかなMCでは、ボーカルの篠塚将行(以下しのくん)の、「なんて言えばいいのかな」とつぶやき、視線を泳がせながら言葉を探し、ギターを爪弾く姿がたまらなく愛おしく、いつまでもその迷いに満ちた声に耳を傾けていたくなる。「ああもう、(MCが)ほんと下手だ」と困っているのも微笑ましい。ほんとうは下手でもなんでもいいのだと、あなたはもう知っている。だからこんなにも愛しいのだ。
ひとりひとりに対して誠実で、やさしくて、ほんとうにやさしくて、わたしたちに「ありがとう」と、何度も何度も頼りなく笑いながら言う人。いつも考えて、考えて、言葉にする。まるで手紙を書くように歌をつくる。きっと自分の血肉や骨を切り出して弾丸に替えるような、静かな痛みに満ちた作業だろう。
それせかの音楽は、それを必要としている人にはやさしい。彼らの音、声が発する抗いようのない凄まじい感情の波は、救うべき人を救い、殴りたいやつを殴る。
はじめてライブに行ったとき、ほんとうにびっくりした。だって2時間歌い通しなのだ。それも物凄く本気でがなり倒している。どうしてこんなとんでもない歌い方をして喉が壊れないのだと、わたしはライブに行くたびにわけが分からなかった。
それが壊れたと報告があったのは、昨年の12月だった。
ポリープだ。
知った当時、わたしは声を上げてわんわん泣いた。
死ぬわけではないし、手術すれば治るものだが、一時的に声を奪われることには変わらない。もしかしたら手術することによって声が変わったり、出しづらくなるかもしれない。
しのくんにとって歌うことは生きることで、生きることは歌うことだと思う。いつかそれに終わりが来るのだとしても、今じゃないだろうと、まだだろうと泣きつきたかった。しのくんのことを想うと胸がひび割れて、そこからぜんぶが破れていきそうだった。
「前の自分だったら、これが俺の寿命なんだと諦めて手術を受けなかったと思うけど、受けます。お前らのせいで手術受けるんだから(ライブ)見に来いよくらいの気持ちです」
ステージの上でしのくんがそう言って笑ったから、わたしもちょっぴり泣きながら笑った。
相変わらずの、本気のがなり。かすれ、揺らぎ、それでも届く本気の声。
だから本気で聴く。本気で受け取る。
バンドというのは、いつ終わってしまうか分からない。わたしはそれを、狂おしいほど知っている。こんな愛おしい痛みを、時間を、空間を、あとどれほど共有していけるだろう。
今日のセトリの中から、特に好きな曲の、好きなフレーズをちょっとだけ置く。MVをリンクさせておきます。
誠実に、真剣に、すべてを振り絞るように、殴りつけるように歌うしのくんの横で、ベースのしょうごくんが笑いながら歌った。水色の反撃のサビだった。その笑顔があまりに綺麗で泣いた。しょうごくんにも引き籠もりだった過去がある。
わたしにも呪いのような記憶がいくつかある。今でも思い出すたびに泣けてくるような記憶だ。この世界は被害者に、傷をつけた相手を赦すことを求めるけれど、それせかの音楽はそうじゃない。わたしたちの嫌いな世界を殴る。嫌いなやつを殴る。わたしのぶんまで、わたしが赦したくないものを赦さずにいてくれる。だから憎しみから手を離して、その痛々しい光を思いきり抱きしめることができるのだ。
「お前らのせいで手術受ける」
上等だ、と思った(この発言に関しては口が悪いけれど、ほんとうにやさしい人です)。
声が変わろうがどうなろうが大丈夫。何も問題はない。約束したとおり、もういちど千葉LOOKで待っている。だから、それでも世界が続くなら、わたしたちは向かい合って人生をぶつけ合おう。何度でも。何度でも。そこからまた、わたしたちの反撃は始まるんだ。
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