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書くことだからできる「優しい」コミュニケーション

最近、noteに感想のコメントをいただくことが多い。

本当に嬉しくて、ほくほくした気持ちになる。ありがとうございます!

気づけばnoteを始めて3年目になる。記事の数は270を超えていた。

こんな、自分語りしかしていないnoteを誰かが読んでくれて、共感してくれたり、励ましてくれたり。なんて、素敵な世界なんだろうと思った。

自分が世界にことばを残すことで、誰かの心に届いて、温かいことばが返ってくる。
ああ、やっぱり私はことばがすきで、書くことがすきだなあと思う。

ふと思ったのだけれど
書くこと、読むことって、「優しい」コミュニケーションだなと思った。

書いたことばって、読み手に時間と自由を与えてくれる感じがするからだ。

読むペースは人それぞれ違うし、読み手はゆっくりじっくり読みたい時もあれば、読み飛ばしたい時もある。
「嫌だな」と思うことば、表現があれば、そこだけ読み飛ばしてもいいし、読むのを辞めちゃってもいい。

なんていうんだろう。
口と耳でのコミュニケーションと違って、聞きたくないことばを聞かなくちゃいけないこともないし、誰かに罵声を浴びせられているなか立ち尽くす必要もない。

だから、文章って、コミュニケーションの受け手の自由度が高いものだと思ったんです。
そう思うと、とても素敵だなって。優しいコミュニケーション。

あと、書き手としても、文章は魅力がたくさんあります。

私は思考のスピードが多分そんなに早くないので、話すことでのコミュニケーションでは、即座に、簡潔にことばを選んで、わかりやすく伝えることが苦手です。
だから、おんなじことを何回も言ってしまったり、一つのメッセージを何回もいろんな言葉で言い直したりしてしまう。汗(だから、話すのが長いです!!)

もしかしたら、人一倍ことばへのこだわりが強いから、話すのが遅かったり、長ったるくなったりするのかもしれません笑

私は個人的にそうですが、世のライターさんとかもそうだったりするのかな?同じ方がいたらぜひ教えてください、、!

あーなんか、話すこと苦手なの課題だなってずっと思っていましたが、今原因が掴めた気がします笑 
おしゃべりは大好きなんだけどね。

だから、書くときはことばをじっくり吟味できるからすきなんです。

私は多分常に、ベストなことばの表現を探していて、その時間がある「書くこと」がすきで、時間がない「話すこと」がにがて。

言い方をじっくり吟味できる「書くこと」も、書き手から読み手への思いやりだと思うと、やっぱり優しいコミュニケーションだなって思います。
(もちろん、大量のいじわるなことばを送りつけるのは別ですよ!)

もしかしたら、ことばへの強いこだわりを手放すことができたら、私はもっと簡潔に話すことができて、話すのが上手になるかもしれない。

今私は、ことばを推敲しながら話すから良くないのかなと笑

でも、ことばへのこだわりは、なくしたくないなと思う。

私が人生経験を重ねておばあちゃんになったときには、一番よいことばをズバッと出せる人になってみたい。

でもそれまでは、少し遠回りでも、長くても、ことばへのこだわりを捨てず、推敲し続けながらコミュニケーションを取ったっていいかな?
と思う朝でした。



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