見出し画像

代官山蔦屋書店で、ハタチの誕生日を想い出す朝

23歳の私は、思い出したいわけでも、思い出したくもないわけでもない、そんな過去のことを思い出していた。

代官山 蔦屋書店。

都会にあるすごくおしゃれな本屋さんである。

なかにはカフェもあるし、ラウンジもあるし、おしゃれな海外の雑誌とか、あきらかに高級な万年筆が並んでいる。

なにもかも他の書店とは違うのだ。
本屋いう名は似合わない。『蔦屋』というブランドが、そこには確実に存在していた。

私は蔦屋にくるのが目的ではなく、蔦屋のラウンジで、朝7:30〜開始するイベントに来るために、代官山にやってきた。

私は特別都会が好きなわけでも、高級ブランド店に買い物に行く習慣もないから、代官山はほとんど来たことがない。

代官山に何回来たかもわからないまま、駅に到着し、蔦屋書店に向かう。蔦屋書店も、行ったことがあるかどうかわからなかった。

蔦屋書店に行くまでの坂道で少しずつ思い出した。
「私、ここに来たことがある」

平地に住んでいる私は、なかなか坂道を歩くことがない。目の前に広がる景色と、坂道を歩くときの足の負担を感じながら、私は忘れていたことを思い出した。

私はハタチの誕生日に、代官山蔦屋書店に来ていた。

蔦屋書店のなかはとても広い。

ガラス張りの建物はふたつにわかれていて、さまざまなコーナーがある。

本棚のレイアウトもとても特徴的である。
3メートルくらいの正方形の形で、4方向高い本棚に囲まれているようなエリアもある。
まるで、本の世界に没入するような感じ。

似たような本屋には行ったことないから、その特徴的な本棚に囲まれたら、一気に3年前のことを思い出してしまった。

3年前、ハタチの私は、本屋も、本も好きじゃなかった。あんまり行かないし、読まない。大学の生協でたまに文庫本を買って、つまらない授業や長い通学時間の暇つぶしに読んでいたくらいだった。

そこに連れていったのは、一見本が好きそうじゃないのに実は好きな人である。

その日は私の誕生日当日で、代官山のお高いお店を予約してくれていた。

歩くのが好きな人だったから、昼過ぎに集合して当時流行だったタピオカを飲みながら、夜ご飯の時間まで都会の坂道をひたすら歩いていた。そのときの歩きにくい感覚を覚えていた。

「蔦屋書店に行ってみたい。」
とその人は言って、地図も見ずにそこにたどり着いた。

普段、お酒ばっかり飲んで、遊んでばっかりいる人なのに、本が好きだった。
読む本も、流行りの文庫本とかじゃなくて、海外の社会問題について書かれた新書を選んで読んでいた。

ハタチの私は本が好きじゃないから、付き合いみたいな感じで、受け身な姿勢でその空間にいた。

雰囲気ばかりに気を取られ、本のタイトルなんて少しも目に入ってこなかった。
本が好きになった23歳の私は、ここにはこんな本があったんだ、とあの時は気づかなかったことに気づく。

ジャンル豊かな本屋だから、料理やファッションなどいろんな本のコーナーがある。

ここで料理の話したな、とか、ここで誕生日プレゼントは何か聞いてみたりしたな、とか、無駄に思い出される。

一回しかそこに来たことがなかったからこそ、その時の思い出だけが、色濃く残ってしまったのだ。

そこで私は気づく。

匂いや音、景色が過去の思い出を一気に運んでくるように、
空間、本、言葉も過去の思い出を私の目の前に運んでくる。

もうその人がどこで何してるかも、生きてるかもわからない。

何をしてるのか、どんなふうに生きているかは失礼だが正直どうでもいいし、興味はあまりない。

でも、生きてたらいいなと思う。生きててほしいなと。

本も、本屋も、出会いと別れだと思う。
景色も、匂いも、空間も。

当たり前だが、何より人がそうである。


そして人との思い出を運んでくるのが、本だったり、空間だったり、景色だったり、匂いだったり、感覚だったり。

もう思い出したくないと思っていることでも、それらは強制的に私の目の前に思い出を運んでくる。
それが、素敵な別れ方だったかどうかに限らず。

記憶の一部を喪失しない限り、無かったことにはできない、ならないんだなと思う。

思い出はきっと、私の頭の中にあるわけじゃなく、その土地に残って消えないんだな、と。

きっと日本各地に、私のいろんな思い出が残っているんだと思う。

海外を飛び回っている人は、地球のいろんなところに思い出が残るんだな。それはきっと、とても素敵なことだなあ。

そう思うと、もっといろんなところに行ってみたい。
と同時に、今まで行ったいろんな場所に、死ぬ前にもう一度行って、自分のこれまでの人生に思いを馳せてみたい。

そんなことをぼんやりと思いながら、本に囲まれた空間に身を置いてみる。



23歳になった私は、本と本屋が大好きな私になって生きています。20歳の時の私には、想像できない23歳になっていました。

21歳だったあの人は、いま、24歳を生きていますか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?