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マスク詐欺現象と芦田愛菜の「信頼論」の共通点

おはようございます!
今日は少し変わったお話を✍️笑

「マスク詐欺」ってよく言いますよね。

マスクしてたらすごいイケメン(美人)なのに、マスクを外すと少しギャップ萎えしてしまう、みたいなことをいうんだと思います。(ひどいですよね😅)

このマスク詐欺って、マスクをしている側の人が詐欺をしているわけではないと思うんです。

それを見た人が勝手に期待して、理想の顔を想像して、勝手にギャップ萎えしている。

なぜマスクをしている方が良く見えるかというと、
・アイメイクが強調される
・綺麗な形のマスクで鼻筋が通って見えたりする

また、
「人は見えない部分を自分の理想で想像してしまう」というのがあるらしいです。
(どこかで聞いた話です)

これはギャップ萎えではありませんが、私もコロナ禍の2年間一緒に働いていたバイトの後輩と初めてご飯を食べた時、「こんな顔だったんだ!」と驚き。
いかに自分が勝手に顔を想像していたかを思い知りました。

見えない部分を正しく認識することは改めて難しいことだなと🧐


自分が見えない部分を勝手に想像してしまうのは、マスクの話に限らないなと思います。

信頼関係におけるすべての話に通ずることなのかなと考えています。


そこで芦田愛菜ちゃんの名言を思い出しました。

まなちゃんは、「信じる」ということについて、

「『信じます』っていう言葉は、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像に期待をしてしまっていることなのかなと思いました。だから人は裏切られたとか言うけれど、その人が裏切ったというわけではなくて、見えなかった部分が見えたときに揺るがない自分がいるっていうことが信じられることなのかなと思います」
芦田愛菜

これを勝手に、マスク詐欺の話に当てはめてみると、、(勝手に何してるんだ)

「マスク詐欺がなぜ起こるのかというと、その人自身の顔を見ているのではなくて、自分が理想とするその人の顔に期待をしてしまっていることなのかなと思いました。だから人はマスク詐欺だとか言うけれど、その人がマスク詐欺をしたというわけではなくて、見えなかった部分が見えたときに揺るがない自分がいるっていうことが大事なことなのかなと思います」
なこ


マスク詐欺は、「勝手な理想像に期待を寄せてしまうこと」のわかりやすい例だなと思います。

マスク詐欺は視覚で感じることだからわかりやすいけれど、もっと目に見えないところで私たちはいろんな期待を相手にして、勝手にガッカリしたり、相手を判断したりしているんだと思います。


人の良いところを見つけるのってとっても大事だと思います。

でも、その良いところを見て、

「この人はこんな良いところがあるから、きっとこういう性格をしているんだ!」
「この人はこんなに優しいから、きっと私が困った時は助けてくれるだろう!」

と思うのは、自分の妄想であって、過度な期待であると思います。


そう思うことは、
「この人はこんなに素敵な目をしているから、きっと鼻も高くて、魅力的な唇をしているんだろう!」
と勝手に妄想するのと同じだと思います。


みんな、私が知らない一面を持っている。それをぜんぶ知ることは、たぶん、できない。

相手の素敵なところを見つけるのと、相手に過度な期待をしてしまうことは全く違うということを、忘れずに過ごしていきたいです。

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