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結局、心に飼うなら(読書感想「銀河鉄道の夜」)

こんにちは。
夏だね。まごうことなき夏だ。

「銀河鉄道の夜」を読んだ。宮沢賢治。
6月の課題図書でしたのよ。ごめんあそばせ。
次次回以降のPodcastで話す予定。
再読のはずなのよ、読んだはずなのよ、学生の頃に。
でもあんまり覚えていなかったので、新鮮でした。新鮮に、

宮沢賢治の頭の中で何が起こっているの???と思った。

鷺は…チョコレート味の鷺は…天の川の水あかりに十日も吊るしておくか、砂に三、四日埋めなければ、水銀が蒸発しない……。

これ三大奇書じゃないんですよね?

僕ぁ読書といったら、思春期にはおかたい日本純文学の他には『マリア様がみてる』しか履修していないような人間なので、迫りくるファンタジーに脳が何度か理解を止めた。途中で救いを求めるように、杉井ギサブロー監督のアニメ版を観た。スタッフ豪華かよ。そうだよ。

ただ、後からのはらさん(宮沢賢治が思春期の相棒)に聞いたら、

・理解じゃない。理屈じゃない。フィーリング。
・賢治は、現実と理想をごっちゃにして書く。因果じゃない。ジョバンニがどこまでも行ける切符を持っているのも、ただ神である賢治がそうしてあげたかったからじゃないか。

ということで、あらためて自分の頭でっかちな、是が非でも道理で解釈しようとしてしまう読み方を実感したのだった。
まあ〜悪いことじゃないんだろうと思うけど、つくづく、感覚で受容する能力が欠落してるなぁ自分は、と思った。

ただ、賢治は厭世的、根にあるのは絶望、というイメージは読む前後で変わらなかった。
「雨ニモマケズ」で賢治は、散々に無理百な理想を並べ立てたあとに、「サウイフ“モノ”ニ ワタシハナリタイ」と締めている。この「もの」というのが非人間的だ。
「サウイフモノ」のような在り方は、ぶっちゃけ実社会で成立し得ない。個人が実行しようと試みることはできても、すぐに病気になったり免疫が落ちたり、あるいは人の悪意の中で貶められたり、擦り切れてあっという間に心が死んだりするだろう。人間の中で生きる人間には不可能だ。そんなことは賢治も分かっているだろう。
だから、この「モノ」は、人間社会の営み、人の業からは外れた、「人ならざるもの」なんだろうなと思っていた。その印象は、銀鉄を再読した後でも同じだった。

三島由紀夫とは全然別のベクトルで理想があって、美しいものが好きだった人。ほんと美しいもの好きね。透き通ったもの、冷たい光、青い輝き、そういう、人間とは対照的なものを愛していた。人間社会を信じていなかった。そういう部分はやっぱり公ちゃんより修ちゃんにメンタル近いよなと思うわけです。

新潮で読んでたけど、実家に帰ったら角川版があったので、比較しながら3周目を読んでます。なんと採用している稿が違うようで、あるトコないトコ、ある。

太宰や賢治の絶望感や不信感に共感してしまうけど、この社会を生きていかなければならないなら、結局、心に飼いたい、いや飼うべきは公威くんなんだよな。太宰治の席も取っておきつつ、三島由紀夫を飼いたいよ。あの意志の強さと行動力と、理想のために現実を変えていく力、見習いたいもの。パワー。

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