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随時の「記録」、大事

アイキャッチは2019年にタイに行った時の写真、対岸からのワット・アルン、すなわち「暁の寺」。

記憶はナマモノだなとつくづく思う。
その瞬間はどんなに鮮やかで強烈な印象の出来事も、いつの間にか驚くほど薄味になっていたりする。

だから、日記は当日、遅くても1週間以内くらいには書いておかないとダメだ。
ダメだ、なんていう価値観で綴るのは本来的ではないのではないか。そう思う節もあるけれど、それよりもやはり「タイムリーにつけておけばよかった、あの時あの瞬間、記録をつけることになけなしのエネルギーでも割けていたならば…」と思うことがあったのだ。

2018年の11月、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで上演されたPARCO PRODUCE”三島×MISHIMA”舞台『豊饒の海』プレビュー公演を見た。

【プレビュー公演とは】

プレビュー公演 (preview performance) とは、舞台演劇において本演開幕日の前に行われる試験公演のことである。欧米の舞台演劇には、舞台の完成度を高めるひとつの手法として、プレビューの制度が伝統的に存在する。これは各プロダクションが本演開幕日の前に、通常2〜3週間の期間を設けておこなうリハーサル的な試験公演で、この期間に舞台監督や音楽監督は観客の反応を見ながら演出の細部を調整してゆく。
プレビュー公演(Wikipedia)

本当に初日の初日の公演だった。
代々木駅で地下鉄からJRへと移動中、偶然ポスターを見かけたのが9月の頭。そのままJRを待つホームでプレビュー公演のチケットを取った。

三島由紀夫に出会ったのは思春期。それこそ『豊饒の海』のシリーズの箱本が家にあったのがきっかけだった。三島由紀夫の著作を全作読破しているわけではまったくないけれど、私の中で一番の読書体験であり続ける『豊饒の海』。他者の解釈を受けて再構成される映画化や舞台化はやっぱり気になるので、手の届く範囲のものは観ておきたいと思い、出演者リストもろくに見ず観に行った。

…と言って、以前持っていたはてブロに書いていた感想を以下に掻い摘む。

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※以下感想(ネタバレを多分に含む)
※2度目を想定し、1度目の素直な所感を記録しています。 

延べ上演時間2時間45分。いくつもの時代が入れ替わりで同時進行する。前半が終わり休憩に入った瞬間は、首を傾げた。
※※※感想部分だけ見出しにします※※※

◆本多の違和感

笈田さんは単純に台詞が入っていないのか抜けているのか?所々で言い直しや妙に思える間があって、単純に没入できなかった。
そしてこれは老本多と聡子の両方についてなのだけれど、イメージが違った。おふたりとも割とこう、知的さや落ち着きはさほど感じられないというか…なんとなく上品ではなかったのが。いやじっさい本多にしても聡子にしてもおよそ落ち着きとは程遠い行いばかりしているのだけれども、それでも老本多があまりに普通というか。本多は凡夫であるが故に清顕のような魂の在り方に惹かれるわけだけれど、この本多はそんな繊細な感性すら持ち合わせているのか怪しいと感じた。
もっとも、そうした「凡庸な老人」として描き出すことこそが狙いなのかもしれない。あるいは私の「記憶という幻の眼鏡のようなもの」が、13年の時の間に二人の人格をむやみに神聖化してしまっているのかもしれない。とりあえずは、回を重ねて演技が変わってほしいなと思っているトップ2。

◆清顕、良い。慶子も良い

松枝清顕のクオリティ=舞台の出来くらい重要なわけで、最初はハラハラしながら観ていた。あまりドラマを観ないので東出昌大さんの演技をちゃんと観たことがなかった。棒演技だとか(でもだからこそサイコパスっぽい演技は映えるとか)そんな噂を聞いたことがあって、期待はしないでおこうと努めた。でも鑑賞を決めた一因には、東出さんが大きく映ったポスターの雰囲気の良さが確かにあった。結果、清顕は予想以上だった。ある種の非俗人ぽさ、本多が焦がれた、世間や時代と無縁な領域で生きているような超俗的な何かがあるように思えた。鑑賞後にパンフレットを買って知ったのだけど、東出さんは三島由紀夫がお好きなのね。そういう方、現実の人生で清顕にまなざしを向ける時間を過ごしてきた方が演じてくれて(何様?)、きっとこの点に関しては多くの作品ファンが報われた。
久松慶子(演:神野三鈴さん)も、何なら女性キャラでほぼ唯一(蓼科も良かったです)、まさに!という感じだった。立居振舞い・話し方のゴージャス感、見た目、そこはかとなくグロテスクな上品さ、本多(の人生や輪廻転生)との距離感、すべて違和感なく始終安心感があった。

◆ジン・ジャンが出てくる気配がない…『暁の寺』はまさかのスルー?⇒ではなかった。スルーは梨枝と絹江だった。

前半終了時点、舞台上でめまぐるしく変わる時代の中に唯一、本多60代、『暁の寺』の世界が出てこない。まさかこのままスルーなのでは。慶子は冒頭から出てきているのに?タイの王族も出てきたのに? と思っていたら、さすがにそんなことはなかった(登場人物を把握していない私が勝手に杞憂していただけだった。)。むしろ『天人五衰』時点の本多・慶子の会話からの『暁の寺』のターンスタート⇒レズシーン覗き見までを非常にキュッとまとめていたのはファインプレイだった。
舞台という性質や上演時間諸々を考えると、たぶんこれ以上の正解はないんだろうなと思う。ただし改変がなかったわけではなく、この「キュッとまとめる」ために、本多の妻・梨枝の存在と、小説で散々なディスられ様の、安永透のアレなアレ・絹江は存在を消されていた。

絹江の自意識は『豊饒の海』の結末において示唆的な役割を果たしている。けれど、割愛が仕方ないのもわかる。神風連史話やら阿頼耶識やら天人五衰やらに触れているといくら時間があっても足りない(舞台という作品にまとまらない)のもわかるし、それらを潔く削いでしまう、というのはありだと思う。こうした思想的な要素を削ぎ落としながらも、決して全体が軽薄にはなっておらず、美しく無垢な魂とそれに対する憧憬が大切に丁寧に描かれていた。

◆飯沼勲の自決場面、『奔馬』最後の地の文の描写を、勲あるいは本多の台詞として語らせていた

『昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、かがやく海もない』。
なにも「ない」のだけど、絵画的で、緊張感に満ちたこの描写。これを勲の独白として言語化していたのが嬉しかった。

◆月修寺の庭は案内されなかった

最後、本多に『記憶もなければ、何もないところへ来てしまった』と思ってほしかった。飯沼勲の自決のくだりや安永透がメイドを連れてきたくだりでは小説の割合細かい台詞を拾っていたので最後もそれを期待してしまっていた。15になった冬、テスト前の勉強の合間についに辿り着いた4巻の結末は「何もないところ」だった、それが本当に衝撃的(2階の自室から階下の母親に驚きを伝えに行ったくらい)で、個人的に思い入れもあったし、やはりこれは重要な1文だったのだろうと思うので。
あるいは本多の「それならば、勲も、ジン・ジャンも、その上ひょっとしたらこの私ですらもいなかったことになる」という言葉に意図的にすべてを託して、最後はむしろ余韻にまかせたのかもしれない。でも、60年のあいだ、ひとつの魂に惹かれ、彷徨って、辿り着いたのが「何もない庭」という不穏さをやはり欠片でも提示しなくて良いのだろうか?とは、やはり思わずにいられない。

◆能舞台を意識しているっぽい舞台

舞台規模による制約もあると思うが、ステージ上には常置のセットも背景もなにもなかった。あるのは木造の正方形の本舞台だけ。屏風とか文机とかいった小道具は都度運ばれてくる。4つの時代が同時進行する構成で場面はめまぐるしく変わるので、当然といえば当然かもしれないが、この「最低限の小道具だけで場転を観客に理解させる、想像させる」というのは、もしかして能舞台のそれをイメージしているのではないかと思った。ステージの上に一段高く作られている本舞台と、なによりそこから下手側にだけ続いている通路。これはもう橋掛りなのでは?もちろん役者がそこからのみ捌けていくというのは現実的にありえなかったけれど、「現実には何もない」=能の夢幻のような出来事であることを意図している、と、一度そう思ったらもうそこから抜け出せない(←注by2022年の私:妄執じゃん)
謡曲『羽衣』は劇中では出てこない。でも代わりに舞台をこのようなつくりにすることで夢幻能を彷彿とさせ、ワキ方としての本多を表現しているのであればそれはなんとも「粋」ではないか。鑑賞中、ここに思い至ったときに(後半になって気づいた)一番興奮した。

◆本多の片想い強調

『春の雪』パートの本多の清顕への執着もとい片想いはかなりわかりやすく、というか、作り手はそう解釈しています、というのを伝えるように描かれていると感じた。とかなんとか言って、原作を仔細に覚えているわけでもないので、原作でもそんな塩梅だったのかもしれない。

陽射しの下で「これ以上何を望むんだ?」と清顕に問う本多、それは清顕の「絶対のものがほしい」という回答のために用意された問いにすぎないし、時代の中に生きる凡庸な価値観の象徴として用意されているのだけど、この問いが劇終盤で繰り返されたとき、「ああ、本多は清顕と一緒にいられたから、もう何もいらなかったのかな」と自然によぎってしまった。それくらい清顕への想いが強い本多だった。

観劇しながら原作を読んでいた当時と今が舞台上同様に交錯し、あの頃考えていたことが思い返されたり、あるいは新しい見方が湧きおこったりして、とても充実した時間だった。
12月1日のソワレを押さえたので、1か月でプレビュー公演から何がどう変わるのか、楽しみ。本当は千秋楽がよかったけど、今度は能う限り近い席から観たいので、仕方ない。

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…と、これは全文ではないけれど、プレビュー公演では色々と感じていたことをちゃんと記していた。だからこそ、いま読み返せばその光景も蘇るし、当時の自分の感性を顧みることはそれだけで楽しい。

ところが、この感想の終盤にある「12月1日のソワレ」、何も蘇らないのだ。
なぜなら、当時、それっきり感想を残さなかったから。

漠然と、演出が変わった部分がいくつかあったことは覚えている。でもそれがどこだったかは思い出せない。誰の演技がどう変わっていたか、プレビューで不満もとい違和感を抱いていた演者さんに対して12月のソワレではどう感じていたのか、覚えていない。門跡になった聡子だったら「『12月のソワレ』ははじめからなかったのと違いますか?」とか言うかもしれない。それくらい記憶が確かでない。

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」
        三島由紀夫『天人五衰 豊饒の海(四)』

↑本当にね…。
だからこそ、見たい幻を己の認識世界に立ち上らせるには、何らかの形を現世に留めさせないといけないのだ。

12月の公演を観た自分が何を感じ、何を確信したのかを思い返す術がないという虚しさ、寂しさ。何かしら残していれば、それがたとえ付箋の数枚でも、蘇るものはあるだろうに。

…という思いを敷衍させ、どんな形であれ、自分の頭の外に「証拠」を存在させておくことが必要なのだなと思った。のであった。のであったのだ。

だから、もし何か「『大事にしたい』と思う、思うかもしれないこと」があれば、日記をはじめとする記録は当日、遅くても1週間以内くらいには残しておくべきだ。どんな形であっても。0より0.1、の精神で。

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