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泡のように

暮らし続けるとなると、後悔したり、ノスタルジックになったり、奮起したり、消えたくなったりする繰り返しを許容しなければならない。1年には四季があって、寒くなっては凍えて、温かくなっては上着を脱ぎ、感情まで翻弄されて、心をかき乱される日々に慣れなければならない。そんな他愛もない日々、名前もつかないような日々を、愛しく抱きしめられるときもあれば、何もかも捨てようとぐちゃぐちゃになるときもあり、どちらもまともに取り合わず、それなりに受け流していく必要がある。

新しいことを知るたびに、知らなかった自分が呑気で間抜けだとまた嫌いになる。物心つく頃には自分の心の有り様は決まっていて、他人からしたら、理解できないほどくだらないことが何年も大切で、そう感じてしまう自分を大人になってから変えられるはずもなく、積み重ねてきた途方もない日々をただ遠くから見ている。今のわたしには、これまでを肯定できる今日の理由を探し、明日の理由を作っていくことしかできない。それなのに、過去は振り払うほどに絡まる。忘れてくれるな、と叫んでいる。だから結局、前も後ろもおざなりで、今にしか立てない。

皆、人の心の有り様を預かる覚悟も決まらないまま、見様見真似で母になり、父になる。ほんと、嫌になるよ。私は私に、何から説明すればいいの?朝5時15分の空気が、生まれた街にわたしを飛ばして、大丈夫だから頑張れという。何年たっても、きっと同じように、この季節になぐさめられてださい人生を生きていくんだ。そう思ったその瞬間に、泡のように消えられたらいいのに。

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