【映画感想・考察】サイド バイ サイド 隣にいる人

こんばんわ。ナキリです。
先日観てきた映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』の感想を書こうと思います。


※この感想はネタバレを含みます。
 御覧になっていない方は自己責任でお願いいたします。










作品の空白に隠れている謎


まずこの映画をご覧になった方は大体感じると思いますが、
とにかく景色が綺麗で理想的で神秘的な自然が多く描写されます。
その中で生活をしている未山君(坂口健太郎)。
彼は口数少なく、しかしコミュニケーションができないほど無口ではなく。
行動や雰囲気で周りの人からは心優しい人だと思われています。

そんな彼はとにかく謎だらけです。
自分から語ることはほとんどなく、序盤は周りの方の説明で形作られていきます。
そしてこの映画自体、とても空白が多いです。
この監督・脚本の方の映画を見たことが無いので、今までの作品もそういう雰囲気だったのかはわからないのですが、とにかく説明が少ないです。
ざっと考えても
・詩織さんと一緒に生活している理由
・莉子との間にあった過去(一瞬の描写はあり)
・草鹿との「後輩」という以外の情報
・莉子の気持ち
・隣にいる人に未山君は干渉できるのか
・そもそも普段未山君は何をしているのか(整体師?)
・最後の未山君のセリフ
・最後の未山君の描写

もちろん、それぞれ少しずつピースはちりばめられています。
しかし、300ピースのパズルの15ピースくらい分の情報しかないので、
すごく大雑把に想像はできるけど実際どうだったかはわからない。という形になっています。
(パンフレットを買いそびれてしまったので、もう少し説明があるものもあるかもしれませんが…)

ただこの謎が、そのとても広い空白が映画を見終わった後の余韻になっているんだと思います。


隣にいる人


タイトルにある「隣にいる人」
序盤は未山君にだけ見えている描写が続きます。
映画を見始めたころは、ただのモブなのか「隣にいる人」なのかわからなかったですが、途中くらいから「隣にいる人」だと気付き始めます。

未山君自信が、「隣にいる人」に干渉している場面は
おそらくですがなかったように感じます。
ほとんど、視線を向けることすらなかったと思います。

彼は、「人が人に向ける強いエネルギー(思念)」を感じ取ることができるようでしたが、おそらく同時に「受け取り過ぎてしまう」こともあるような感じがしました。

中盤までたびたび映り込む、草鹿の生霊(思念)は莉子との顛末を知っている草鹿の恨みにも似た強い感情だったから感じることが多かったのだと思いますし、首が動かないということで見てあげた外国人実習生へ強い思いを向ける人はそのまま未山君についてきてしまっていました。

しかし、この能力は莉子と再会してから描写がありません。
入院しもうすぐ亡くなりそうな人も生命力の薄さは感じても、描写としてはほぼ感じ取れないようなことを言っています。

僕はこの能力の源泉は、未山の強い未練や無力感から来ているのではないかと思っています。
過去にあった衝撃的だったことから逃げ続けていき
無力感のまま自然に中で生活することで生まれた感じ取る力が
莉子から感じた草鹿の強い気持ちを受け取ってしまった。
弁が開いてからは受信しっぱなしに近い状態となってしまった。
と思いました。

なので、莉子と再会してからは過去に置いてきた後悔や未練ではなく、
目の前に莉子がいることに対する、贖罪や責任感や戸惑いなどで遠くに対する気持ちを持つ余裕がなくなり、自分を含む他人の生霊を察知する能力はなくなった(必要なくなった?)ように見えます。

ただ、最後まで通してみると美々にも見えている描写がいくつかあります。
途中で知らないはずの草鹿を未山の友達と言ったり、
お母さんはいないのに3人ででかけると言ったり。
そして映画の最後「未山君さっきまでいたのに」(一言一句覚えている自信はないので意訳です。)

最後の描写


最後は衝撃的なシーンを映し、
その後の詩織さん家を映し、
映画は幕を閉じます。

僕は牛が道を逸れて金属音がしたとき
おそらくこの映画の中で一番心臓がバクバクなっていたと思います。
(2番目は詩織さんが未山君の家に来た時)
うそでしょ、と
死ぬの?ここで
と思いましたし映画が終わっても呆然としてしまいました。

おそらく「牛に振り回され崖から落ちて死んでしまった」
という解釈もできますがそうでない解釈も残されていると感じました。

一つは先ほど挙げた美々ちゃんの「未山君さっきまでいたのに」
未山君は病院で生きている人の気持ちは感じ取れるけど…この男性は…というようなことを言っていました。
美々ちゃんもこの通りなら、幻のように皿を洗っていた未山君は
生きて強い気持ちを莉子or詩織さんor美々ちゃんに向けていると考えることもできます。

二つ目は詩織さんの家の不自然な明るさ
莉子が出産していますがかなり新生児に近かったと思います。
妊娠していることがわかっていた描写からしばらく生活をしていたことから、未山君がいなくなってから半年も経っていないのではないかと思います。
喪に服しているような描写どころか莉子もすっかり明るくなりとても元気になっています。
未山君が死んでいたとしたら、あそこまで明るい描写は不自然ではないかと感じました。

三つ目は湖と山を見ている未山君の前に現れたKing Gnuの井口
どうやら彼は監督の以前の作品に出ていたススムという主人公らしいですね。(そっちの映画も今度見てみます)
ただ重要なのは彼が誰かということではなく彼に未山君が言った
(滞在しようかなといった彼に)「それはちょうどいい(意訳)」と返した未山君。
何がちょうどいいのか、思い当たるものがその直前にはなかったのですが
彼が失踪しようと思っているなら意味は通ります。
ただこれだけだと死期を悟っている描写ともとることができます。

なのでこの3つを合わせて失踪したがどこかで生きている未山君という解釈も可能かな、と思っています。
強い未練だった莉子とも和解し、今後の生活も(無責任ではありますが)詩織さんに任せることができる。
自分がいる必要は…

まぁでも未山君がただ失踪するにはそれこそ理由も足りない気もしますが…

最後に



この作品は過去を必ずしも綺麗に清算する必要は、ないのかな、と思いました。
それでも過去はやってくるけど、落とし所は人それぞれだしその時周りに誰がいるかにも依る。
全てを1人で受け止めて解決しなきゃいけないわけではない…のかなと思いました。
未山君と莉子を詩織さんが受け入れたように。
……詩織さん本当いい人だ。


一度見ただけなのでうろ覚えの箇所もありますが、
機会があったらまた見に行ってみようかな…

そうしたらまた違った見方や、考え方の補強ができるかも…


まだ見ていない方で興味がありましたら、ぜひ劇場で見てみてください。


ありがとうございました。

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