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月の満ち欠け

佐藤正午氏著作、「月の満ち欠け」を読了したので、感想を綴っていこうと思う。

昨年大泉洋氏を主演に映画化された本作は、著者が直木賞を受賞した作品でもある。

映画の上映をきっかけに購入して、だから買ったの去年の12月だったけど、つい先日ようやく読み終わった。

最初に言っておくと、私はこの作品を読むにあたってかなり苦労した。
なかなか一筋縄ではいかない佐藤正午ワールドにまんまと嵌ったからだ。

あらすじ

主人公小山内堅は、15年前に愛する妻・梢と我が子・瑠璃を交通事故で亡くしていた。
悲しみに暮れていた小山内の元に、突然1人の男が訪ねてくる。
その名は三角哲彦。
それまで何の面識もなかった三角は、「奥さんと娘さんは自分に会いにくる途中事故で亡くなった」と言い出し「貴方の娘さんは僕のかつての恋人、正木瑠璃の生まれ変わりかもしれない」という、とても信じがたい話を始めるのだった。
ーーそれから時が経ち、今度は娘の親友でもあり女優の緑坂ゆいとその子供るりが小山内の前に現れる。
そして彼女は「私の娘は、貴方の娘の生まれ変わりなんです」という話を切り出す。
またしても受け入れがたい内容に小山内は困惑するが……。
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
1人の女性から始まる壮大で奇妙なストーリーは、ロマンチックな純愛か、それとも身勝手な我儘か。
3人の男が、瑠璃という女性に翻弄されていくお話。

以下ネタバレあり感想
(ちょっと否定的な感想あり)


正木瑠璃という人物

正木瑠璃。この人がこの物語でキーワードとなってくる存在で、小山内、三角、正木を翻弄する全ての元凶。
正木瑠璃が正木竜之介と強引に結婚していなければ、三角と不倫しなければ、電車に轢かれて命を落とさなければ、何度も何度も生まれ変わらずに済んだ。

物語のキーマンとも言える彼女が私はハッキリ言って苦手。

美人で歳の割に若くて、自然と男の人を惹きつける魅力を兼ね備えてはいるみたいだけど、どうだろうか?
我儘で身勝手で、その上自分は不幸な身の上だと悲劇のヒロインに転じている様子が、何だか痛々しくて、どうも苦手。

私は映画を先に見ていて、有村架純さんがこの正木瑠璃を演じていたから、まだ可愛らしく魅力的な人物だと思ったけど、文章で読むとそこまでの魅力を残念ながら感じることは出来なかった。

でも、男性ってこういうミステリアスな美人になぜか弱いんだよなーという説得力は大いにあった。
それに、インパクトは抜群。
登場シーンはそこまで多くないのに、主人公の小山内よりも確実に脳裏に焼き付いている。
好き嫌いは置いといて、かなり印象深い人物描写がこの正木瑠璃にはされていた。

とすれば、この正木瑠璃という人物は読み手によってかなり印象が違ってくる存在であり、物語の外にいる読み手までもを翻弄する、魅惑の女性である。

何もかもを犠牲にしてでも


先の話に通じる部分があるけど、この正木瑠璃が三角と不倫し、生まれ変わって彼に会いたいと強く願ったから、今度は小山内瑠璃として生まれ変わり、三角に会いに行こうとした。

その人生も18年で幕を閉じ、次は正木竜之介の就職した先の社長の子供、小沼希美として生まれ、こちらは中学に上がる前に交通事故で亡くなってしまう。

そして次は小山内瑠璃の時の親友、緑坂ゆいの子供、緑坂るりとして生まれ、ついに三角とおよそ30年ぶりの再会を果たす。

この間まず犠牲となった命が三つ。

すべて同じ命だと言っても、その命はもう別の人生を歩んでいたのに、自分が一時ちょっと燃え上がった不倫相手に会いに行くために、三つの命と人生と、その周りの家族の人生と思いを犠牲にしている。

それだけ周りを巻き込んでおいても、性懲りもせず三角に会いに行く瑠璃だけど、私はこの行動がどうしても理解できないし、許せない。

何もかもを犠牲にしてもいいくらいの、燃え上がる恋を、未だかつてしたことがないからだろうか?

でも正木瑠璃と三角の恋愛だって、そんなに燃え上がるような激情な恋だったかと言われると、うーんと首を傾げる。
三角は初めての女性だったから100歩譲って燃え上がったとしてもわかるけれど、正木瑠璃は完全にお遊びだったやん。

この正木瑠璃の行動と考え方が理解できず、何度本を閉じたことか。
まだまだ読者に明かしてない心の内が、もしかして彼女は隠したままなのか。

超文学的な文章が紡ぐ壮大なお話

佐藤正午氏が数多く出版している著書の中で、この「月の満ち欠け」が初めて読む作品になる。
だから、この人はこういう文章を書く、という前情報無しで読んだわけだけど、私はすごく難解に思えた。

割といろんな本を読んできて、読書力は高い方だと自信を持っていた私は、この作品に触れてその自信を失いかけた。

まず言い回しが文学的というか、普通の会話じゃかなり違和感のあるような、文字であることを前提とした会話文。
それだったら読みやすいんじゃないの?と思う貴方は実際に読んでみてほしい。

言葉にし難いけど、どこか頭を捻りながらページを捲っていかなければいけない。

加えて何世代もの生まれ変わりというかなり壮大な話で、内容も登場人物の関係性もかなり複雑。

いやはや、読者に立ちはだかる壁は高い。

内容がするする頭に入らず、同じところを何度も読んだり、ずいぶん前の章にまで読み戻ったりと、苦戦しながら読んだ。

結構本読んできたつもりなのにな。
あぁ、私もまだまだなんだと落胆し、挫折しそうになったことは数知れず。
もう、辞めた!と諦めつつ、それでもなぜか手が伸び、また読み始めてしまう。

これが文学というものか。
これが、佐藤正午氏のなせる技量故か。

だとしたらAIはきっと小説家にはなれない。
こんな超文学的な文章、人間にしか書けない。

最後に

この作品、感想を言葉にしづらい。
読み終わった後も言葉にできない感情が、ずっと心の中をぐるぐるして、その割にキュンもなく、ロマンチックな気持ちに浸ることもなかった。
かなり奇妙で、ある意味不気味な話。

そしてあの癖のある超文学的な文章。
佐藤正午氏の文学的センスに思いっきりぶん殴られながら、読み進めていく。
そんな感覚で私はこの物語を読み進めていった。

ただ、私はこの小説を読めて良かったと思う。

読み応えのある作品を求めている貴方は、是非。

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