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燃え落ちた流れ星のかけらを抱えて

わたしは冬の夜の散歩を愛してる。
だいすきな音楽を聴いて街の景色を眺めながら歩く。冬は寒いからひとが少なくて、寒さで空気が澄んでいて、流れる空気そのものがきれいだと感じる。この空間を知っているのは世界でわたしだけという錯覚に陥る。
人目も憚らず空を見上げると、東京なのに星がちらちらと揺れて見える。東北にいた頃の冬の夜空もきれいだったけれど、東京の冬の夜空も悪くないとわたしは思ってる。冬の星空を見上げるたび、いつも思い出す人がいる。


わたしは高校生の頃、学校の先生がすきだった。
入学してすぐの頃に一目惚れして、ああこの人だって思った。いつもわたしはこういう一目惚れに導かれてしまう。その先生はわたしのクラスの担任ではなくて、授業の担当でもなくて、だからわたしはただの他クラスの生徒の一人にすぎなくて、遠くから眺めるだけだった。

2年生になって、その先生の授業を取るチャンスができた。わたしは迷うことなくその先生の日本史の授業を取って、教科の係に立候補した。その先生はほんとうに、おもしろい先生だった。最初の授業で紙に自分の呼ばれたい名前を書いて回収された。その後の授業では毎回、その紙をくじ引きで先生が引いて、誰が発表するか質問に答えるかを決める。ある時は、恋バナの話になって、生徒の一人が「先生には恋人はいるんですか?」とふざけた調子で聞いた。すると、その先生は「いるよ。日替わりで365日ちがう人と付き合ってるの」とものすごいドヤ顔で言った。ほんとうに、おもしろい先生だった。日本史の授業はいつも穏やかで和気藹々とした雰囲気ができていた。
それでも、先生はいつも周囲をくまなく見ていて、誰がなにをどう頑張っているとか誰が授業中体調が悪そうとか、そういうことにすぐに気がついてくれるひとだった。

わたしは日本史の授業がだいすきになった。
わたしが言うのなんておこがましいけれど、先生は授業がとても上手だった。見やすい板書に、綺麗な字、時々挟めてくる歴史のうんちくや、全然関係ない日常の話。そんな先生にクラスの全員が惹かれていたと思う。先生はほんとうに歴史がだいすきなひとだった。歴史の話になると止まらなくて、先生として教壇に立って自分のすきなものを嬉しそうに楽しそうに話すその姿が、生徒のわたしにはきらきらと美しく見えた。

わたしは先生に見てほしくて、気がついてほしくて、誰よりも日本史の勉強を頑張った。テスト前に練習ノートを回収される時には、先生からのメッセージがほしくてひたすら問題集を解き続けた。わからないことがあれば、職員室に行って積極的に質問した。でも、日本史の質問できることなんて限られている。そのうち、会いたいがために質問を無理やりつくることも増えた。先生のことを知りたくて、職員室の辺りをいつも友達に付き添ってもらって徘徊していた。笑うと目がなくなるところがだいすきだった。毎日、学校からの帰り道にはかなしい片想いの歌を聴きながら帰った。この恋にはいくつもの壁があるから無理なんだと悲しみに酔っていた。生徒と先生という立場の壁、年齢の壁、性別の壁。先生は13歳年上の同性の先生だった。
わたしにはどれも越えられないと知っていた。それでも悲しみに酔えばいつでもわたしは特別な物語のヒロインになれた。いつかなにか奇跡みたいなことが起きるんじゃないかとわたしは微かな希望を夢見て、掴めない泡を運命の恋だと思って離さないでいた。

2年生の修学旅行では、他クラスの担任としてその先生も引率してくれた。わたしは心底担任のクラスを羨ましいと思いながら一日を過ごした。
いま思い返すとなんてことしてるんだ、という感じだけど、当時わたしは夜に友人と先生の部屋に突撃訪問した。どういう理由をこじつけて会いに行ったのかは覚えていない。それでも、先生の立場をいまになって思い返すと、ストーカーちっくで恐怖だな、と笑ってしまう。

そして、わたしの行動はそれだけにとどまらなかった。修学旅行が終わり地元の県に戻ってきて、みんなが駅で解散した後、生徒を見送る先生に声をかけて、「一緒に写真撮ってください」とか言ってしまったんだ、、うん。こわい。行動力の化身な自分こわすぎる。
先生は困った顔をして一緒に写真を撮ってくれた。その写真はいまも、わたしのスマホに残っている。
3年生になってからも、先生と距離を縮めたいと試行錯誤する日常が続いた。わからないところを質問する時、話すきっかけがほしくて、おもしろいボールペンをペンケースに入れたり、いい香りのするハンドクリームをつけたり、変な(ミトコンドリアとか微生物の)キーホルダーをペンケースにつけたりした。先生の人間性や性格の内側を知りたくて、すきな本を聞いて、同じ本を図書館で借りて何度も読んだ。今思い返すと健気で純粋だからこその狂気がある。(こわい)(でもばかみたいにまっさらでかわいい、と思いたい)

先生に近づきたくてもっと知りたくて、いろんな行事の委員会に参加した。
先生に自分のことを知って欲しくて、バンドでボーカルをしたりキーボードを弾いたりして、文化祭のステージに立った。
先生のことを知りたくて、わたしの弱さを見せたくて、進路の相談を何度もした。
わたしの青春には先生がいつもいて、陰気で引っ込み思案でいつも外の世界を羨んでいたわたしを連れ出してくれた。

先生はたぶん、わたしの想いに気がついていたと思う。ストーカーみたいな言動をしていたわけだし、そういう気持ちはなんとなく溢れ出して、勘づかれてしまうものだから。
それでも先生は気が付かないふりをしていてくれた。先生と生徒のままの距離感でいてくれた。大人になった今ならわかる。先生はちゃんと“大人”で、わたしに正しさを教えてくれていた。先生は絶対的に正しいひとで、わたしはその正しさが嫌いで、だいすきだった。

卒業式の日、わたしは先生に卒業アルバムの寄せ書きのページにメッセージがほしいとねだった。先生は他クラスの生徒に書くことなんてなくて、きっと困ったと思う。それでも書いてくれた言葉は今でも、わたしのなかで宝物のように残り続けている。わたしはいろんなひとの言葉に生かされているけれど、先生の言葉はたぶんその核心に近いこころのどこかにいまもまだ大切にしまわれている。
最後だから、とハンカチとチョコレートを渡した。先生は困ったように笑った。わたしはその仕草がすきだった。先生はひとつひとつ言葉を選んでわたしに手渡してくれた。わたしはその言葉選びがすきだった。先生はわたしに激励の言葉をくれた。わたしはその温かさがすきだった。喉奥でつっかえていた言葉が思いがけず出そうになってわたしは口を閉じた。わたしは慎重に言葉を選んで伝えた。
「先生はずっと、わたしの憧れでした」
先生は嬉しそうに笑っていた。
その後、無理を言ってLINEを交換してもらった。

卒業式の日も、帰りはいつも通りスクールバスで帰った。バスに乗る前、校舎裏の自動販売機で午後の紅茶のホットミルクティーを買い、そのミルクティーを抱えてバスに乗り込んだ。
その日のスクールバスは人が少なくて、バスの中にわたしを含めて3人の生徒しか乗っていなかった。バスが発車してミルクティーに口をつける。なんだかいつもより甘くて泣いてしまいそうになる。まるで、わたしのこの恋のようだと思った。甘くてしびれるような幸福ともどかしさと幼さ。舌にいつまでも残る未練。肌寒い空気のなかに浮かれたような春の陽気がほんのひとさじ混ざっていた。わたしは大きなはじまりの中で、終わりの予感に気がつかないふりをして窓辺の景色を目で追った。
その後卒業式に一緒に撮った写真をLINEで送った。連絡をとったのはそれが最初で最後になった。

卒業後、先生の近況を友人のインスタグラムのストーリーで知った。わたしは地方から上京してなんとか生活に慣れてきた、そんな大学1年生の夏だった。
そのストーリーでは、高校の友人(と言っても他クラスで顔見知り程度)たち複数人が先生を囲んでバルのようなところでご飯を食べていて、先生が照れたように笑っていて、「結婚おめでとう!」というコメントが添えられていた。先生は結婚した。
うそだ、って思った。恋人は365日日替わりって言ってたじゃん、うそつき、という言葉が頭の中をぐるぐるした。大切にしていた記憶を引っ張り出して、あの時もあの時も、先生はわたしの知らない誰かに愛されていたんだ、と思った。嫉妬?後悔?落胆?いろんな想いがわたしを締め付けた。
先生はそのあと、すぐに子供ができて産休に入ったらしい。しばらくして先生が2人の子供を産み育てていることを風の噂で聞いた。わたしの失恋も先生の幸福もあっけなく通り過ぎていった。なにかすこしでも奇跡が起きるかもと期待していた自分がばかみたいに思える。先生の世界にわたしは入れなくて、最初から弾き出されていた。勝手に幸せになればいいよ、わたしは意地悪だからそんな祈りしかできないよ。


わたしは今でも、セブンイレブンに行くたびに先生を思い出す。高校生の頃、先生に休みの日になにをしているかを聞いたら、「寝てばかりだよ〜何もしたくない日はセブンの冷凍うどん食べてるよ」「セブンはね、新商品が火曜日に出るから、毎週必ずチェックしてるんだよね」そんななんでもない会話を心の隅で少しだけ思い出す。先生は覚えてなくてもわたしだけが覚えている。どうでもいい記憶もなんでもない会話も叶わなかった想いも、わたしだけが大切に抱えている。
あの頃の記憶は、熱くて幼くて甘くて一瞬の輝きとともに燃え落ちた流れ星のかけらのように、わたしの手の中で輝いている。大切だと思い込んだまま、凍える寒さの中でその終わりかけのぬくもりに温かさを求めている。

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