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吉澤嘉代子さんのライブに行けなかったあの日

吉澤嘉代子さんのライブに行きたかったな、と思って金曜日のオフィスで泣いてしまった。もちろんこっそり泣いたけれど。頭の中ではリリースされたばかりの「みどりの月」が流れている。

小さなついていないことが10個くらい続くと、永遠に辛い人生が続いていくような感覚に陥る。ついていないことは大抵同じ時に重ねて起こる。思いがけないところで失敗するとか、信じた人に突然手を離されるとか、そんな小さな不幸に嫌気がさす。

今日はこの仕事を終わらせたら帰れる!久々に残業なしで退勤する!渋谷のタワレコでやるリリイベに間に合う!と意気揚々と仕事をこなしていたら、退勤の数十分前にアクシデントが発生した。確認していたはずの上司は知らん顔で、他部署にまで気を利かせて確認していなかったあなたが悪いよね?と詰められてその理不尽さに泣きたくなる。もとはといえば上司の確認漏れで滞ってしまっていた業務なのに、わたしが謝らなくちゃいけなくなる。なんで謝ってるのか全然わかんないけど、謝罪の言葉はなにも考えなくても口からするする出てくる。わたしはいつも他の誰かのせいで謝ってばかりいる。

アクシデントの処理を今日中に終わらせる約束を半ば無理やりさせられて、わたしは落胆しながらデスクに戻った。社内の人に話しかけられても、わたしは上の空で、なんの話も入ってこない。その時にはもうすでに、「ああ今日は吉澤嘉代子さんのライブに行けない」という諦めと落胆がわたしを包み込んだ。

他部署の人に呼び出されて注意された。
わたしの進行の仕方についての苦言。
わたしが悪いのは第一だけれど、それを教えてくれなかったのは周りじゃんか、と心では捻くれながらも謝罪の言葉を並べた。

他部署の先輩にわからないところを質問していたら、「これも教えてもらってなかったの?」と驚かれた。わたしが「わたしが先回りして気がつかなかったのが悪いんだと思います」と言うと、先輩は「教わってないんだから先回りもなにも必要なもの自体が自分じゃわからないからしょうがないよ」と言った。わたしは誰かとぶつかるのが怖くてすぐに衝突を避けてしまう。避けるために自分の意見や意思を捻じ曲げる。だっていつだって正しいのは自分以外の他人で、わたしにはなにもないから。

上司は早々に仕事を片付け、社内の人と飲みに出てしまった。わたしはどんどん静かになるオフィスで、静かに仕事を片付けていった。ライブ開始の19時半が近くなるとこころがざわついて、悔しさでどうにかなりそうになる。頭の中で「みどりの月」がリピートされる。この音楽を全身で浴びるところを想像して、その想像の先の自分があまりにも幸せそうで、手に入らなかった現実を思って涙がこぼれる。
直接音楽を聴きに行けなくても、あなたの音楽をこんなにも思ってる人間がここにいるよ、なんて誰に届くでもないのに思ってしまう。

オフィスで悲しみに暮れながら終わらない仕事に呆然としていたら、自部署の先輩に声をかけられた。「なんか元気なさそうだね」そう気づいてくれるのはありがたいんだけど、ちょっと余計な言葉が多すぎて話してると心底嫌になる。「わたしも昔はそんなだった」とか「この自己啓発本を読んでわたしは生きやすくなった」とか「もっと素直になりな」とか言われると、ぜんぶ、うるさい、と思ってしまう。わたしを他の何かに分類してわかった気にならないでほしい、わたしはあなたとは違う経験をしてここにいるのに。あなたが手に入れた生きやすさの話を聞くたびに、自分が生きやすくなる代わりに、(今のわたしのように)ほかの誰かをちいさな不幸に落とすくらいなら、そんな生きやすさなんていらない、と思う。それに素直になったって搾取されるだけなのに、優しいだけじゃ生きていけないのに。わたしの頭の中でたくさんの言葉がごちゃまぜになる。
辛いことを過去にたくさん経験してきた人は優しい、ってよく言うけれどそれって本当かな。辛い過去が多ければ多いだけ傷ついて、傷ついた箇所を守るように歩くから骨も根っこもどんどん曲がっていく。傷つきやすいくせに固くて、こんなのもうどうにもならない。

人がまばらになったオフィスでイヤホンをつける。
吉澤嘉代子さんの「ゆとり」をリピート再生する。わたしね、この曲だいすき。

傷のない羽をよたつかせて振り返らずに飛び立った
あなたと渡ったうつくしい夕焼けにさよなら
思いでがそっと色褪せたとしても
キラキラ光ってキラキラ光っているよ

「ゆとり」吉澤嘉代子より

もう何年も前に卒業した高校時代の記憶がぼんやりと思い出される。なにも知らず、なにも恐れず飛び立てたあの無邪気さを眩しく感じる。夕陽が傾いて教室にこぼれるオレンジ色の光とか、だいすきだった先生と並んで歩いた渡り廊下とか、だいすきだった先輩の下駄箱の番号とか、どうしようもなくあたりまえだったあの日常が、わたしの中で輝きを増していく。

友達とばかみたいに真面目な話をした放課後とか、台風の中家にも帰らず部活の友達と人狼ゲームをしたあの嵐の日とか、チョコレートを渡せずに持ち帰ったあのバレンタインとか、友達とクレープを食べながら帰った帰り道とか、合唱コンクールで本気で優勝目指して練習したあの時間とか、意味のないと思ってたものにこそ価値があって大切なものが詰まっていたことに気付かされる。

「きっとこの夢を叶えたい」そう選んで、わたしは今ここにいるけれど、わたしは今あの時なりたかった自分になれているのかな、そう思ってあの頃の延長線上に確かに自分がいる事実にも泣いてしまう。あの頃なりたいと思っていた職業に就いているけれど、この先にはなにがあるんだろう。考えながら、あの頃必死に繋ぎ止めようと握りしめていた熱い塊のような想いを思い出す。あの頃羽ばたいてから羽は傷ついて千切れて、それでもまだこうして前を見ている。後ろを振り返ることの方が多いかもしれないけれど、それでも前に進んでいる。

わたしのこころの中では彼女の音楽がキラキラと輝いている。春霞のなかに見つけた確かなひかり。わたしはそんなひかりを抱えているから歩いていけるし羽ばたいていける。温かくて柔らかくて、そんなぬくもりに包まれて、わたしはまたオフィスで泣いてしまう。唇を噛み締めて涙を堪える。なんで泣いてるのかももはやよくわからないけれど、ただわたしはあの音楽を直接抱きしめたかったな。

だれもいなくなった夜のオフィスで、ずっとずっと「ゆとり」を聴いていた。生まれてから歩んできた絶望のなかで、拾い集めた奇跡みたいな瞬間を頭の片隅で数え続けていた。


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