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わたしは、愛が、わからない

「愛する」という行為はどこで学べばいいのだろう。ときどきそんなことを考える。わたしは愛しかたがわからない。愛されかたもわからない。だからいつも間違える。ばかだなって思う。

わたしにとって、愛はお金だった。
買い与えられるという行為が愛だった。
幼い頃から報酬のために必死に頑張った。
頑張らなければ、完璧でいなければ必要とはされない。
でも、これまでいろいろな本を読んだりテレビやネットの情報をみるうちに、愛は無償で無条件に与えるものであることを知った。両親からそのままの自分を受け入れられ、たくさん抱きしめられた子どもは自己肯定感の高い健全な子どもに育つらしい。
わたしはそんなもの知らないと思った。
無償で無条件に愛されるというのは、わたしと違って価値ある人間が得られる権利だと思った。
だって、なにも成果を出していないのに、そのままの自分を受け入れてもらえるなんておかしいよ。それに、両親から抱きしめられるとか、そのままの自分でいいと認められるとか、ありえない。わたしは愛というものが怖くて、知りたくて、いろんな本を観た。いろんな作品を観た。映画や絵画、短歌にエッセイに小説。わかりそうになる瞬間はあっても、自身の感覚として、まだ理解できずにいる。

学生時代に好きなひとができた。心の底から好きだと思った。わたしが持っているすべてを与えたいと思った。わたしは何度も何でもない日にプレゼントを渡した。喜ぶ顔を見たかった、ただそれだけだった。ひたすらプレゼントを渡す日が続いた。わたしはお金でしか愛を示せないと本気で思っていた。困ったように、でも嬉しそうに笑う顔を何度も見たいと思った。でもその感情はいつしか終わりを迎えた。きっかけが何だったかはもう複雑に絡み合っていてわからないけど、友人に「それってホストに貢いでるのと一緒じゃん」と言われたことがあった。わたしはきっと図星だった。そのうち、この愛し方は異常だということに気づき始めた。それからわたしはなにを愛していたのか、わたしがしていたことは愛だったのか、ほんとうにあのひとのことを好きだったのかさえもわからなくなった。距離をとるようになった。関係をわたしが壊した。だれかをすきになるのがこわい。

先日、地方に住む家族と会い夕食を食べる機会があった。そのときに言われて悲しかったこと。
「髪長いほうがいいと思うけどね」
「その髪型は女として、ないよ」
わたしその場で無性に泣きたくなっちゃった。
わたしはショートヘアなんだけど、その言葉の裏にちらつく本音が見え隠れして悲しかった。わたしの被害妄想だったらごめんだけどさ、

その言葉の裏には
「髪長いほうがいいと思うけどね(長い髪は女性のトレードマークだし)」
「髪長いほうがいいと思うけどね(男は髪長い女のひとがたいてい好きだから)」
「髪長いほうがいいと思うけどね(長い髪のほうが女性らしくて守りたくなるし)」

とかさ、絶対思ってるんだろうなって言葉尻から滲み出て泣きたくなった。
結局女は「男の好きな女」でいないと必要とされない、と諭されてるみたい。わたしの家族には「こうあるべき」という強い価値観が根付いていて、そこから外れることを決して許されない。会うたびに「はやく孫の顔が見たい」と急かされるのも嫌気がさす。わたしは結婚なんかできないししたくないのに。ましてや愛しかたも愛されかたもわからなくて全て壊してきたのに。わたしのすきなわたしでいてなにが悪いの?どうしてこのままのわたしを受け入れてくれないの?わたしの人間としての欠陥はいろんな要因があって、でも家族もきっとそのひとつだろうなと思ってしまう。ごめんね。

愛しかたも愛されかたもわからない。
こんなわたしをすきになってくれたひともいた。
でも、すきだと言われても、抱きしめられても、頭を撫でられても、うそだ、と思って嬉しいのか不快なのかよくわからない顔になってしまう。その言葉に隠された本音を探りすぎて結局最悪の理由を見つけて落胆する。甘えてほしい、と言われたらどうしていいかわからなくて泣きたくなる。
逆に、すきになったら、必要以上にお金を積んで相手を喜ばせようとしてしまう。手に入らないひとばかりすきになる。わたしの持っていないものを持っているひとをすきになる。でも、わたしはあのひとの持っているものも持っていないものもなにひとつないから、そのひとにはすかれない。わたしにはなにもない。だったらなけなしのお金を使って捧げることでしか愛は示せないじゃないか。
わたしはきっと結婚したとしても、子どもを産み育てられない、と思う。愛しかたがわからないから、正しく育ててあげられない。
みんなどうして愛しかたや愛されかたを知っているのか教えてほしい。

いつか、そのままの自分をありのまま受け入れてくれるひとが現れたらいいのに、と想像する。
きっと、そんなひとに抱きしめられるような瞬間が来たらわたしは膝から崩れ落ちて子どものように泣いてしまうだろうな。そんな日が来ないことなんて知っているけどね。だって、みんなかわいくて健全な女の子がすきだから。でも来世でもいいからそんな日が来たらいいなあと思う。来世で生まれ変われると信じるなんて傲慢だけどね。わたしはそんな一縷のひかりがほしい。ひかりの尾ひれを手放さないように、わたしはひとりで手を握り続けている。

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