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人間の解釈が入るということ

しばらくの間、守護を威厳ある畏れ多い存在だと思い込んでいた私ですが、ひーちゃんとしーちゃんはその解釈に合わせて私と接していました。その方がコンタクトしやすくなるらしいのです。

光たちは天使として解釈されたり、霊として解釈されたり、多神教のさまざまな神として解釈されたり、感じとった人間によってさまざまな見え方をするようです。

目に見えない存在の光たちには形がありません。そのため人間の脳は、目に見えるものや理解しやすいものに光たちを変換して受け止めるようなのです。それを知っている光たちは、それぞれの人間の解釈に合わせて接触しているとのこと。

私は、それでは嘘になってしまうではないかと疑問を投げかけました。ひーちゃんたちは、表層的に嘘があっても本質を伝えることが大切だから、人間の脳が理解できるように、人間の解釈を取り入れつつ本質的なことを伝えてきたと教えてくれました。

私は、これからは人間の解釈の余地がない、そのままの光たち、そのままのmamで接してもよいのではないか?現代人であれば「光はこういう存在のはず(こういう存在であってほしい)」「神様はこういう存在のはず(こういう存在であってほしい)」という固定概念や願望にとらわれることなく、真実を受け止められるのではないか?と言いました。

mamや光たちは、そろそろそういう時期がきているから、全ての人とはいかないけれど、柔軟な人の前では、徐々に人間の解釈の余地がない、素の自分たちで接していくつもりだと教えてくれました。

mamについてはこちらに書いています。


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