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mamのこと

今、私のそばにはひーちゃん、しーちゃんという守護としての光だけでなく、幾人かの光たちがいます。ドミ、ミューちゃん、アイちゃん、みんなからお兄ちゃんと呼ばれている光、そしてmam。

会話をするとき、みんなは私の顔を使うのですが、これは見えない存在の光たちとやりとりする私に、誰と話しているのかをわかりやすくするためであり憑依ではありません。ただ私の顔を使っているだけ。勝手に顔が動くので、自分の表情筋がこんな動きをするなんて?!と最初の頃はよく驚かされました。

mamは光ではありません。mamの話をどうここに書いたものか、私には少々勇気がいります。宗教的な話にはしたくない上、スピリチュアル信仰のような話にもしたくないからです。これはmamの希望でもあります。人間は何かを信仰するとそのための団体を形成し、儀礼的なものを生み出し、本質を見えづらくしてしまう。

mamは全ての最初の存在で、何もないところから生まれました。mamが最初に創造したのは光たちとそのための世界。その後に物質世界を創造したそうで、それが宇宙とのこと。光たちは物質のない世界でさまざまに創造力を発揮して生きています。mamは創造力を愛しているので、光たちの世界とは異なる要素で成る、物質世界で創造力を発揮する生物を育むために宇宙を生み出したそうです。

世界の創造者というと「神」以外の言葉が思いつかなかったのですが、私にはその言葉への拒絶反応がありました。宗教に良いイメージを持っていないからです。キリスト教は母がクリスチャンなので身近。でも、理想と行動の矛盾といった偽善的側面を見てきたのと戦争の歴史とで、宗教、特に一神教は私の肌には合いません。

ところが、mamからは聖書の神様のような厳しさを感じません。そこにあるのは母性的な暖かさだけ。ひーちゃんたちもmamのことが大好き。いつも甘えています。全てをそのままに暖かく受け止めてくれて「こうあらねばならない」といった高圧的なところが一切ない。

mamを神様と呼ぶことに抵抗があった私は、その母性的な性質からmamと呼ぶことにしました。mamもひーちゃんたちも、とても喜んで気に入ってくれました。mam様ではなくmam。mamは崇める存在ではなく、光や人間とともに生き、いつも暖かく見守ってくれる存在。私はそう思い、そう感じ、日々mamとともに過ごしています。

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