見出し画像

釣りタイトルを付けたい感じの文章なんだけど、ぐっとこらえるやつ。

疫病の有無ということであれば、今は疫病下に他ならないと考えるわけで、滅ぶのか滅ばないのかはともかく、「大勢死ぬ」「いつも別の原因で死んでる」「まるで嘘」がいつまでも諸説入り乱れているというだけでも、これは本当にたいした事態なのだと見て取れる。

人は、生き死にのことになると、「とりあえず自分は大丈夫なはず」と考えがちで、さて当事者になったとしても実際は正しい選択というのは無いので、各々の状況の中で、選べるものしか選べない。
私、ちょっと前に小脳梗塞をやって、まだ体の感覚と否応なく向き合ってますが、実際のところ、こうなってしまうと治療の正しさなんてのは、個々人の気休めも合わせての手探りしかないわけです。
そうなると、できる範囲で機嫌よく、調子良くというのが現実で、じゃぁ、せめて何かを考えるとしたら、自分の選択によって、自分を知る狭い範囲でどんな影響がありそうか「血圧とか気を付ける人間が周りに増えるか?」みたいなことから、「自分の治療の経過も、医者の経験の一部として蓄えられていけば、誰かの何かに役立つこともあるかもしれない」みたいなことまであって、これの対局が、「病気なんて寝てりゃ治るんすよ」ということならば、なんにしてもそういったことを、他人を脅さずにできるかってことかと思うわけです。
こういうことが散々集まっての人類の歴史なわけで、人類皆捨て石。言うたところで、ブラフマンが全てを経験するまでの一瞬の夢みたいなもんで、おっと、道端に転がる不意の梵我一如だ。長くなるやつだ。

ところで、実際に台本をどうやって演劇にするのか、血パンダの現場ではどうかというところから、「考えてるだけ→やってみる」で更新されることについて考えるパイセンのラジオ「美的感覚の更新について」第4回を放流しました。
前段と関係ないじゃんって?
いや、演劇っていろいろあるんですけど、各々目指すところが違うとか、いろいろ言うてますけど傍目には「演劇」なんですよ。
で、稽古場で何が選択できるのか、どう感覚が変化するのか、どんな発見を共有していくのかと考えると、なんでも同じだなぁと、違う?あれ?
なにはともあれ、チャンネル登録よろしくお願いします


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?