大川原化工機えん罪事件の本質は、人質司法。そして、人質司法を支えているのは、マスコミ、国民。

大川原化工機冤罪事件をめぐって、検察に批判が集まっている。しかし、この事件を単なる検察の暴走と捉えては、本質を見誤る。

なぜ、このような安易な起訴がまかり通るかと言えば、それは検察が、人質司法に頼りきっているからである。

もし、この事件において、全被告が人質司法に屈し、罪を認めていれば、検察から見れば何の問題もなかった事件である。
それが、罪を否認したため、検察からすればすべての目論見がはずれ大事になった。
冤罪というのは、検察から見れば、人質司法の失敗である。

河井元法相買収事件の供述誘導も、検察は批判を受けているが、これも人質司法の失敗である。
人質司法によって、不起訴の代わりに検察に有利な供述を得たが、結局、検察審査会によって起訴されたため、買収された側が、供述は誘導と証言し、問題になっている。

この供述誘導も、何も検察の暴走でもなんでもない。普段から、普通にやっていることである。人質司法が失敗し、これらの問題が明るみに出ただけの話である。

人質司法を実行してるのは、検察ではない。検察は人質司法を請求しているだけであって、実行してるのは、裁判所である。
だから、批判するなら、検察ではなく、裁判所である。

そして、人質司法を支えてるのは、マスコミであり、評論家であり、国民である。

犯罪の疑いがあれば、なんでもかんでもすぐ逮捕しろと叫び、逮捕を懲罰と勘違いするマスコミ、評論家、国民。保釈して逃亡したら、裁判所や、弁護士の責任を追及するマスコミ、コメンテーター、そして国民。こういった感情の塊だけのような無知な人たちが、裁判所に圧力をかけ、保釈をためらわせ、人質司法が成立する。

検察を批判しても何も変わらない。まずは、問題の本質を見極める必要がある。



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