給食の歴史~藤原辰史さんの講演を聞いて。

今日は給食の歴史について、藤原辰史さんの話を聞いて学びました。給食の歴史の本を、彼の著書ですが、購入して、少しは学んでみたものの、やはり実際に話を聞いてみると、学びは多かった。
給食の思い出。学校の一番の楽しみだったかもしれない。コッペパンに牛乳。中学になると袋入り麺。温かい汁物に金物入りの米飯。
たまにあるフルーツポンチ。どちらかといえば、良い思い出だ、牛乳を何本も友達からもらって飲んでいたやつもいたなあ。

藤原さんの主張で印象に残ったのは、給食は、国家権力であり、自治の手段だということだ。民主主義である以上、それを決めるのは最終的に市民だ。自治体にどう働きかけるかも含めて、住民、市民が自分ごととしてとらえ、子どもたちにどんな給食を提供するのか。それを考えるべきだということだった。

そこまで考えたことはなかったが、そうかもしれない。どちらかというと、自分の関心はアメリカがどう戦後の占領期から給食、ひいては日本の食文化に政治的に関与し、影響を及ぼしてきたかだった。牛乳や肉食などの西洋の食文化が入ってきたのは、やはり戦後から。小麦もだ。それまで、日本人は米とみそ汁、漬物などの和食をとっていた。その食文化を変えたのが戦争による敗北だった。

いまの給食に牛乳や小麦をつかった食品が多くあるのも、その流れの中にある。牛乳を強制するのはよくないとか思うけど、簡単にはいかないのだ。歴史は長いのだから。

僕の住む自治体でも、給食費は310円ということだった。それに対して、1食あたりにかかっている金額は670円。毎食、この値段の食事をとっているわけだ。社会人が毎食、ランチにかけている金額よりも少し多い感覚だ。物価高騰を考慮しても、安くはないだろう。実際のふたんは、食材費のみということだ。

ありがたい。学校に通う間、このくらいの負担で、毎日多彩な食事をとれる。もちろん、昔のように自校給食が素晴らしいのはわかっているが、センター方式となった今でも、ありがたい。食材だけでも、地元産品も含めて、自治体がその決定権を持っていることは、まだよいだろう。詳しい調理方法などはわからないが、安全性は高いだろう。

給食は飢餓の防止という側面がある。戦後の混乱期に、多くの子どもたちが飢えで死んでいった。今は、飢えという現実は、私の目の前には、ない。ありがたいことだ。牛乳や小麦粉をつかった食品が巷にあふれて、和食を中心とした食事ができていないことは僕の課題だけど、給食を考えることで、食生活を考える良い時間となったように思う。藤原辰史さん、ありがとう。講演を企画してくださった、「自分ゴト会議」の皆さんにも、お礼を言いたいです。

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