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人見知り・コミュ障・インターンでパワハラの中、就活50社以上落とされうつ「もう面接受けたくない!」その一心で、強みを活かしてSNS起業をした。

私は2021年夏、うつのため大学を1年休学をして就活を放棄しパソコン一つでSNS起業をした。今は個人事業主として、苦手な朝に起きず午前には人と会わずマイペースに自宅で仕事をしている。

LINEを開くと「交流会でゆうさんに会いたい人がいるから紹介しようか」「事業計画の戦略見てほしいんだけど」など先輩経営者たちから届く嬉しいお知らせ。
 
しかしビジネスを始める前までは、ザ・普通の大学生。
いや田舎から上京して来た垢ぬけないイモ子でした。

学歴至上主義の自称進学校に通い、高校までメイクもしたことない。
コミュ障の人見知りで男子2名からいじめられ男子の視線が怖くなりマスク生活の高校生活。典型的なスクールカーストの底辺タイプ。

運動音痴で学校生活では勉強で生きていくしかなかった。勉強しか頑張ったことがなくて、自分でも「つまらない人間だな」って内心思っていた。

 
コミュ障で面接が苦手。やっと受かったインターンはただ働きのコマ扱い。
就業日以外にもガンガンLINEがきて、仕事をしろと言われる。
ある日始業時間前に緊急会議みたいなもので、「○ネ」と罵声を浴びせられるなどパワハラな職場。
 
そんなパワハラを受けている最中に、就活がスタート。
書類審査は通るもコミュ障で全く話せずに毎日届くテンプレお祈りメール。しかも、コロナのためオンライン就活になった世代だった。
パワハラと就活のダブルパンチでうつになった。

人見知り・コミュ障・インターンでパワハラの中、就活50社以上落とされうつ。「もう面接受けたくない!」その一心で、強みを活かしてSNS起業をした私の物語。
 




クラスの隅っこが特等席だった幼少期

一人っ子として生まれた私は、シャイで初対面の人とのコミュニケーションが全く取れない内向的な子だった。

みんなが楽しんでいる運動会当日。
私は病院のベットの上で白い壁と向き合っていた。病弱だったからだ。
 
人見知りなので自分から話しかけることもできない。何を話したらいいのかも分からない。外遊びなど派手なことが苦手で、一人で遊べるシルバニアファミリーで幸せな家族を想像しながらするおままごとが大好きだった。
 
七五三の写真撮影。ドレスでは超笑顔。
しかし、着物は着付けがイヤだったのか大泣きしてしまった。着物姿の写真は泣き顔で不貞腐れた写真のまま今も残っている。


いじめから勉強でスクールカースト最底辺を脱出した小学校

小学校時代に自分から手を挙げて発表した記憶が一切ない。

クラスの取り組みで全員発表しましょうみたいな地獄の時期があった。
今でも覚えているが、先生が誰を当てようか考えている間には手を上げず、
当て終わるくらいに今思いついたかのように挙手をしていた(笑)
 
 
地元の同級生女子にいじめされる暗黒な小2時代。

休み時間に外に出るたび、運動音痴で足が遅い私は逃げることができず取り巻きの女子3人から追いかけまわされた。まるで韓ドラのように髪を引っ張られたり。砂を靴に入れられたり。
 
今でも強烈に覚えているのは、放課後の地元で「床に落ちたお菓子を食べろ」と言われたこと。

太陽が沈みかけたごみ置き場の近くで出くわしてしまった運のなさ。
この時はさすがに怖くて逃げだした。火事場の馬鹿力。
取り巻きもいなかったからか、
近所の目があるからか追いかけられなかったため逃げ切れた。

誰にも言えずにただクラス替えがある日まで待ち続けた。
 
神様はいるのかと思った。
天使のような存在と出会いスクールカースト最底辺を脱出した小3。
 
小3のクラス替え。
自分とは正反対の人気者で優しくて明るい優等生と出会い人生が激変。

【勉強が人生を輝かせてくれた】

運動音痴だった私には勉強しか学校で生きていくすべがなかった。
 
それまではテキトーに宿題をこなしているだけ。
だがある日、国語の漢字テストで40点を取ってしまった。
 
母は教育熱心な過保護で干渉してくるタイプで、怒られるのが怖かった。

放課後、テストをぐちゃぐちゃにしてランドセルの小さいポケットの押し込んで家に帰りたくないとすら思った。帰り道はまるで処刑場への向かう囚人のようだった。
 
自宅へは戻らずに近所の公園で必死に言い訳を考えるが思いつかない。
母には帰宅時間を把握されておりこれ以上遅れると不自然に思われる。
 
「ただいま」といつもより小さな声で言うと、悪魔の声が聞こえてくる。
キッチンから「テストはどうだったの?」と。

バカ正直な私はごまかせず、「怒らないでね」と言いながらテストをしぶしぶ見せた。すると母が一言。ただ「恥ずかしい」と。
「○○ちゃんは優秀なのにね」とボソッとつぶやいた。

この時の私は悲しかった。母親に比較されたことが、言葉が重かった。
 
基本、先生や親の言うことに従順だった私は「勉強します」と謝るしかなかった。以降、ベネッセの赤ペン先生や塾に通い、勉強残間の日々。

クラスでも1位を取るようになった。
テストの成績や母がPTA役員だった影響で、
先生もクラスメートも私への扱いが変わった。

いわゆる「勉強ができるいい子ちゃん」
 
「地元の中学校が荒れていてヤンキーと一緒にいたくない。」
「高校受験したくない。」

という消極的な理由で私立中学校へ。
 

学歴至上主義の中高一貫で男子2名からいじめられた中学時代

もともと勉強をしたい!とか高い志で入学したわけではない中学校。
よりによって小学校の苦手なメンバーがいて最悪な気分でした。
「私の中学デビューの邪魔しないでよ!」って内心八つ当たりしてましたね。
 
勉強の成績で扱いが変わる分かりやすい中学校。
勉強できる・できないがスクールカーストの指標だった。
 
入学当時、小学校や塾でトップクラスの成績で図に乗っていた私は思い知らされるわけです。

「あれ?私勉強できる子じゃないの?」

入学後のテストで数学100点とか、平均が70-80点くらいあってそもそも高い。
 
部活動も陰キャみたいなパソコン部。
そこでパソコンにハマって、勉強を放棄してしまった。

ちょうど、スマホを買ってもらった時期だったので、
勉強よりゲーム三昧の日々。
 
まあ、当然勉強していないので進学クラスから落とされるし。
数学に至っては40点くらいで、
周りの席の子が50点くらいの子に向かって「お前より下いるの?やばくない?」って。
 
中学時代は唯一の武器だった勉強もできなくなり、暗黒時代でした。
 
だから、男子2名からいじめられたんでしょうかね。
 
中3のネイティブの英語の授業。
週3日の6時間目。次は掃除の時間。
一番後ろの席で、出入り口から2番目の席。
 
授業が終わるたびに、スクールカースト上位の男子2名から消しゴムのカスを投げつけられる。

何も言い返せず、というか相手にするのがめんどくさかった。
授業のチャイムが鳴って号令がかかると、すぐに教科書をもって教室を出て女子トイレに駆け込みました。
 
こんないじめが2週間くらい続いた。
いじめがおわったのは女子2名からの告発だった。
そのうちの一人は、苦手なタイプで出身小学校が同じ同級生。
 
当時の私は、いじめを告発した女子2名は私をいじめていた男子2名のことが好きだと知っていた。

「私へ興味をもっていかれていることが気に入らなかったから告発したんでしょ?」
 
と超ひねくれていた。別に私を助けたかったわけじゃないよねって。そんな正義感あるタイプでは到底思えないし。

再び勉強でスクールカースト上位へ上り詰めた高校時代

内部進学でそのまま高校の進学クラスへ。
担任はまさかの中学時代からの同じ担任(笑)完全に性格を見抜かれている。中学時代、土曜日は興味ない授業をよくサボっていた。
 
まあ、学歴至上主義の自称進学校なので、
進学クラスとそれ以外は接触しないようにフロアを分けられていた。
 
親友は勉強ができる優等生だったので、教師からチヤホヤされていた。
私は今忙しいからと相手にされないのに。
 
「こいつら腹立つ。見返してやる。有名大学受かってやる!」
と再び勉強の世界へ飛び込んだ。

 
高2から本格的に勉強をしはじめて、高3の河合塾の模試で国語で学年1位を取った。クラスメートに「帰宅部エース(笑)」とからかわれながら教室を出ようとしたとき、担任と目が合った。
 
「お前、こんなに頭よかった?」
「意外でしょ?」
 
と言ったひねくれている私。
 
担任は「いや、そんなことない。」と。

私は正直、嬉しかった。
だから、今でもこの情景を覚えているんだと思う。
 
いよいよ受験シーズン本番。
私は東京へ3泊くらい行き、マーチと言われる大学レベルを受験をした。
(今思うと軽く10万くらいかかっている)

車社会のド田舎出身で電車移動したことないうえに、方向音痴だった。好きなアイドルの音楽を聴きながら、電車で向かう受験会場。電車も迷子になるので、父に付き添ってもらっていた。(私が一人っ子なので親が過保護だったんでしょうね)
 
本命としていた大学の歴史が苦手な分野(近代史)ばかりで、これはダメだと思った。よりによって、滑り止めで受けた大学が得意分野の問題を提出するって言う。


そんなわけで受験結果は、marchを受けて1つだけ奇跡的に受かった。

ホントに全落ちしたんじゃないかと不安だった。
父に受かっているよとLINEで言われて初めて知って、ルンルンで進路指導室へ報告に行った。
 
合格発表の日、人生で珍しく泣いた。
それで安心したのか、翌日から熱を出して寝込んだ。

体調崩しながらも、学校による強制的な国公立大学の受験をさせられいた。私は地元の大学に全く興味がなくてやる気がでない。というか、風邪ひいているし進学先決まっているから受ける意味がなかった。
 
本当は親友と上京する予定だったが、親友が早稲田大学にこだわっていたので浪人してボッチで上京する羽目になる。

でも、「これからは東京でサークル入って彼氏作ってキラキラするんだ」とルンルンで上京した。


人生のレールから大きく外れた大学時代

期待を胸に上京したが、ザ・普通の大学生。
いや田舎から上京して来た垢ぬけないイモ子

学歴至上主義の自称進学校に通い、高校までメイクもしたことない。東京のインスタアップしているキラキラグループとはノリが合わない。
 
電車に乗って1時間通学して、自炊して一人さみしくご飯を食べる日々の繰り返し。ケチっていたので、ご飯も安いうどん40円くらいを素うどんやカレーうどんというように調味料を変えて食べていた。

スーパーに行く日も固定化して、日が明るいうちに3-4日分の食料を買いだして自転車をこぎながら帰宅する。お風呂はもったいないのでシャワーを済ませて、適当に自炊してYouTube見ながらもくもくと食べる生活。
 
そんなある日、オシャレをしようと表参道の美容室へ。
はじめて髪を染めたが、勇気ができずほぼ黒髪状態(笑)
眉毛サロンに通うもなぜかしっくりこず。
 
そんな普通の大学生活を送っていると、コロナと就活の時期がやってくる。
就活のネタ作りのために、インターンでもするかと。
 
コミュ障で面接が苦手。やっと受かったインターンはただ働きのコマ扱い。

就業日以外にもガンガンLINEがきて、仕事をしろと言われる。
インターン生として受け入れてもらえて、契約について疑うことなく入社してしてしまった私。
 
ここ以外では受け入れてもらえないという恐怖心から、

「契約してしまっている以上放棄したら迷惑がかかる」
「もう受け入れてくれる会社はなかったらどうしよう」
「社会人になるにはこれくらい当たり前」

と、世間知らずのビビり学生の私はその会社でバカ正直に半年間ほぼフルタイムで働いていました。
 
仕事内容も事前の説明とは違う。よりによって一番やりたくない新規事業の営業。なんかYouTubeで企業のPRをする事業で、何の効果があるのか分からない。

「これ売れるの?そもそも役に立つの?」
 
仕事が楽しいのかと聞かれれば楽しくない。
ただ時間だけを奪われてなんでこんなことにって。
 
勤務時間外にもLINEでガンガンくるメッセージ。
ピコんって通知音すら恐怖。
 
休みたいのに休めない。
 

そこへ畳みかける災害。―就活―


 「私の強みは―」とマニュアルをこなすロボットみたいに。
全員スーツ。黒髪。量産型。
 
案の定、コミュ障で全く話せずに、50社以上おとされまくる
まるであなたの代わりはいくらでもいるって言われてるみたいに、
毎日届くテンプレお祈りメール。
 
そんな就活と同時進行で、
インターンの朝礼で「○ネ」と結構なマジトーンで言われた。
(ほぼ八つ当たり)
 

毎日就活のために面接を受けて、
それ以外はインターンの対応をして、
大好きなYouTubeを見ても頭をよぎるのは「就活とインターン」
 

コロナ渦で実家に帰省し父に「会社経営している人いないの?」とコネ入社をしたいと愚痴る。もちろん無理と言われるけど。親はバブルのイケイケで就活苦労せずにソニーに入社しているから、私の就活も楽勝と思っている感じ。


家族での花見も表情筋が死んでいるかのように動かない。車からサクラを眺めるあまり知られていないスポット。普段はきれいだなくらいは思うが、この時は全く感情が動かない。


就活エージェントから、「エンジニアが向いているよ」と言われて勧められる会社を受けるも不合格の日々。あまりに受からなくて担当者がしびれを切らして、「個別面談しよ」ってLINE。この面談で「ゆうさんクセ強いからね」などコメントされ慰められて、鼻水が出るくらい号泣してしまった。
 

部屋に明かりをつけずスマホを持ちベットに転がる。
暗い毛布というトンネルに閉じこもった私は、スマホ片手に「○にたい」と打ち出した。
 
精神的に不安定になって、面接を受けるのが苦痛でドタキャンしたくなる衝動に駆られる。

そんなパワハラ職場と落ち続ける就活で、
とうとう「うつ病」になって休学してしまいました。



学生起業家にDMを送りSNS起業をした
 


そんなある日、ひとつのブログとの出会いが大きく人生を変えた。
 
「1日3時間で月収70万のコミュ障大学生が書いているブログ」と出会う。

はじめはインフルエンサーとか天才かなって思った。
でも、全然違って自分と同じコミュ障大学生で休学して起業した人だった。

1日3時間で月70万⁉
詐欺でしょって思った。

だって、新卒の給料が22万くらいなのに。

なのに、彼は平日にフラッと旅行しているし、
彼女さんと遊んでいるし、
億超え起業家たちのパーティーに参加している。

私からすれば、住む世界が違うと思うわけだけど、
彼にとっては普通の世界。
 
ここで初めてサラリーマン以外の働き方を知る。
自分の知らない世界。内心憧れている世界。
人生でも1,2位を争うくらい衝撃だった。
 
起業ってお金なくてもできるんだ。
特別な才能がなくても起業で成功している人いるのか。
実績や知名度がない人でも起業するんだ。
 
まあ結局、
経営者たちが儲かる仕組みで社員は馬車馬のように働かせるのか
と怒りが募った。

社会の仕組み上、経営者や投資家たちが儲かる仕組みになっていると気が付く。


それまでは、いい大学に行っていい会社に就職するのが当たり前だと思っていた。
 
サラリーマン教育を受けて、初任給で手取り20万以下。
毎日満員電車に乗って通勤して、人の顔色を窺い、一人さみしくご飯を食べる。そんな生活を40年以上は耐えられない。
 
資本主義社会で自由なお金持ちになるには、起業家の道に行くしかない。

お金を稼ぐスキルをつけたい。
お金を稼ぐスキルがあれば自由な生活ができる。
もう2度と面接など受けたくない。
 
そんな感じでブログの大学生へビビりながらDMを送った。プレゼント欲しかったら、お問い合わせしてねって書いてあるから。完全にプレゼント目当てだけどね。


彼から返信がきて、10回くらい質問攻めしてやり取りした。「ホントに稼げるのか?詐欺じゃないのか?」とビビりながら。

そうして、私は嫌な環境から逃げたくて彼と同じ起業の道に歩み始めた。


せどり・アフィリエイトで挫折。新しいビジネスへ移行する

今までやってきたビジネスは、

・アフィリエイト
・ブログ
・電脳せどり
・LINEマーケティング
・SNS運用代行


一番初めに行ったビジネスは、電脳せどり。
起業スクールで「実績がない人はせどりで実績作りましょう」と言われていたから。だだそれだけ。平凡な大学生に実績なんてなかった。

(今思うと、「実績」って大きな結果じゃなくても需要があればマネタイズできると分かるけど。当時はそんなこと分からなかった。)

しかし、電脳せどりは罪悪感から1か月もたたずに挫折した。やっていて誇りを持てるものではなかった。

私はアイドルが好きだったので、転売ヤーってイメージが強かったから。「転売=悪」という認識が抜けないわけですね。

そもそも、肉体労働が好きじゃないし。家に在庫が抱えるので、家族にも迷惑がかかる。せどりって先に仕入れるから、赤字リスクや予算がある程度いるっていうのもネック。


 そうして次は、ブログやアフィリエイトの世界に飛び込む。スクールのカリキュラムはブログ集客で、ちょっと古い。お金もない自分がやれることが現実的にSNSしかないと思ったから。
 
はじめてTwitterアカウントを開設。
私は世代的には珍しくSNSアカウント持ってなかった。

ノウハウ通り、3か月くらい朝活ツイートや1日6時間朝昼夕にいいねやコメント周り。その結果、1か月で相互フォローで1000人いったけども。

しかし、マネタイズはできない。
なぜなら、フォロワーさんに嫌われるのが怖くてアフィリエイトできなかったから。

心の中で天使と悪魔がささやく。
「もうさっさとマネタイズしたい!」「嫌われるのが怖い!」

そんな中で結局、私はマネタイズを優先した。

「1か月で月10万。一撃30万」とかいうツイートにいら立っていた。なんでこんな情弱ビジネスしている人が稼いでいるのって!そんな奴らに負けている気がして悔しかった。


「まあ無料でリスクないし、フォロワーさんに価値提供できるから大丈夫
と自己正当化していたけども。


それでよくあるRT企画を開催。
2時間で40人集客した企画と3名しか集客できなかった企画があった。

私の場合はLINE公式アカウントを設置したプレゼント企画の受けが悪かった。しかも、凍結された。相互フォロワーの仲良しつながり系でターゲット層がズレているなど、今思うとSNS運用に失敗していた。

(SNSアカウント作る前に、商品やターゲットは決める。じゃないと、時間の無駄。マネタイズ目的ならね)


YouTubeとか情報商材でよく見ませんか?「フォロワーを増やすノウハウ」とかそういう枝葉のノウハウに振り回された。

積みあがらない。マネタイズできない。
時間と努力が泡のように消えていく。


アカウントも凍結されもう正直、アフィリエイトは限界だと思った。

「アフィリエイトは結局、薄利多売でその会社の都合に振り回される。競合が強すぎて勝てない。集客数が膨大になるから私には無理。」

(23年10月からステマの法律も施行されて、アフィリエイトがより厳しくなったと思っている)


そんな紆余曲折を経て、SNS運用代行やコンテンツ販売に切り替えると決意した。正直に言うと、単価が高くて集客数が少なくても生きていると思ったのが大きい理由。お客様から頼られるのは嬉しいからというのもある。


でも、無料モニターにバックレされるとかいろいろあった。私の実体験としてこれからビジネスをやる人は、無料モニターはやめたほうがいい基本的にお金払わないと人は真剣にならないと思っているから。

実績作りと割り切り、お客様に低額お支払いいただく。
もちろん、費用が回収できるまで(結果出す)サポートする前提で!


無料モニターはやる気がすべて。モニター選びを間違うと、結果出す確率が下がる。つまり、商品が売れない負のループになる。


もしあなたがビジネスをするなら、

①お客様に少額でもいいからお支払いいただく
②費用が回収できるまで(結果出す)サポートする

これが、win-winな長期的な成功になると考えています。



こうして、SNS運用代行は有料からスタートした。
インスタDM200通送って、返信6件・アポ率4件・成約2件という結果。

・個別カスタマイズ
・事前にギブする

トークが苦手なので、事前にギブして信用得てました!
例えば、動画編集だったら1本無料で作るなど。

インスタもフォロワー数30名、投稿数10枚程度。
プロフィール文と投稿10枚は妥協しなかった。

投稿画像をポートフォリオの代用と考えていたので、ポートフォリオも特に作りこまず。

昔、無料モニター時代のメール営業では、
100件送って返信が0件という悲惨な結果だった。

DM文章ホントに大事!テンプレは一発でバレる。
実績がないうちはテンプレ送るより、個別にカスタマイズした方がいいですね。


そして現在、ビジネスマッチングアプリで会ったパートナーと共に
お客様が+15万アップした自己分析×営業サポート】を展開している。


 



 

これからの夢

ー稼ぐ手段でリターン値が決まる現実ー


私は大学生の時に、パワハラとうつで休学してSNS起業する

といった、世間のレールとはちょっと違う変わった道へ行きました。

別に後悔はしていません。
むしろ、今は幸せです。

だけど、今に至るまでは本当にいろんなことがありました。
一番やばい時期は死にたいレベルまで悪化していました。

だからこそ私は、
コミュ障・HSP・パワハラ・うつなど社会で苦しんでいる
ビジネスで成功したいと思っているけど苦しい
過去の自分のような人を一人でも救いたい。


誰にでも強みはある。それを活かす場所はある。
でも、その場所は誰も教えてくれない。


まあ、会社からすると社員がいなくなると困るからサラリーマン教育のままが都合がいいんですね。だから、サラリーマン以外の働き方を教えてくれない。

私は収入の決まり方は所属する業界によって左右されることが多いと思う。

だからあなたがどんなに能力が高くても、平均給与が低い・単価が低い業界にいると馬車馬のように働いても給料がよくないと感じるはず。

医者・総合商社・外資系コンサルとか給料が高いイメージがないですか?

逆に、動画編集やwebデザインとか低単価で疲弊する業界のイメージ。本当はもっと高単価なのに、クラウドソーシングなんかは需要と供給バランスが崩壊して低単価でこき使われている。

クラウドワークスとか見ると、単価の高い職種や業界が一目瞭然ですね!私がアフィリエイトを辞めて高単価なSNS運用代行を選んだように。


最初の稼ぐ手段を間違えると大ゴケしてしまう。
楽して稼ぐ方法はないですが、最短ルートで効率よく成功することはできる!


集客数が少なくても食べていける「高単価な職種」を選ぶのが賢いと思いますね。たとえ好きな仕事でも、需要がないと成立しないし、低単価だと収入の限界がありますから。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
これから情報発信していくので、よろしくお願いいたします。




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