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再評価について

最近みたYouTubeで「再評価」という言葉を聞きました。

ちょっと、振り返ったり、立ち止まったりして、そのとき、そう感じたけれど、本当にそれってどうだったのかな?と考えてみる行為と理解しました。

感情と結論って、改めて考えてみると イコールでないこと多くないですか?

たとえば、子どもに「部屋を片付けて」と言ったのに遊び続けている。というとき、
→わたしの言った事を無視する→わたしは軽視されている→かなしい
と結論がねじ曲がっている。
ここで再評価をすると、
「無視してるんじゃないよね、遊ぶの楽しいだけだよね。」
→わたしは軽視されていない。という風に理解が変わる。

わたくし、こういう考え方を通常でしちゃうんですが、周りのお母さんたちに、スッと受け入れられないことが多いです。
こういうふうに考えた方が、無駄に落ち込んだりしないから楽じゃんって思うんですが、
この考え方は、受け入れられないということは、欠落しているところがあるんじゃないかなと思い始めています。

なんとなくですね「かなしみたい」のではないかと思うんです。

楽しいこととか、うれしい ことって表現しやすいんですが、
かなしいこととか、さみしい ことって表現しにくい。

表現しにくいことを表現するキッカケみたいのが必要で、子どもの行為をきっかけに、それが表面化している。
ガス抜きとして解決してはいけないのかもしれないと思うようになりました。

そして、この話ってそもそも
「自分は軽視されている」という視点を元々もっている人にしか分からないものだと思うんです。

わたし自身ですね、
他人事としてみると、
「自分が軽視されている」ということ自体が思い込みだと思うのですが、
わたくし事となると
正しく評価されてないとか、大切にされないとか
急に見方が変わってしまうことがあるんです。

なので、
この他人の目っていうのが、重要かなと思っています。
自分以外の他人の目線。

いま、あり方スクールのスタッフをやらせてもらっていますが、
あり方スクールって、自分と他人の目線の違いをすごく分かりやすく感じられる。
同じことを聞いたり、見たりしても、その人、固有のものの見方があって、全然ちがう結論になっちゃうんですよね。
なので、自分の目線だけで、物事を理解するっていうのは難しいな~とつくづく実感します。
自分が自分に一番盲目ですしね。


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