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お茶会について

いま、よかよか学院では「あなたのままでそれでいいお茶会」というのをやっていまして、
スタッフである私も数日、担当させてもらっています。
今日で2回目の担当デーでした。

どうだったかと聞かれれば「楽しかった」と即答するのですが
なぜ、楽しかったのか?ということを書いていこうと思います。

わたしは「本当にそれでいいの?」と思うことが世の中に沢山あって
万年、反抗期だと自分のことを表したりします。
そのように表すのも
反抗期というのは、若いから許されることだと思うので、
47歳になってもその状態から抜け出そうとしてない、ただのアホだと笑い飛ばしてくださいという意味を込めています。

さて、なぜ、楽しかったのか?

それは
①非合理的だったから
②損得がなかったから
③人同士が集まったから

①について
合理的であることに対してとても疑問をもっています。
養老孟司先生がどっかのYouTubeで合理的に生きたかったら
「産まれてすぐに死ねばいい」と言っているのを聞いて確かにと思いました。
また、AIに仕事を奪われると言ってる割には、合理的に仕事をするのも不思議だなと思っています。機械は合理的なので、置き換え可能に自らしていると思うから。
合理的の一番の弊害は「人らしい」ということだと思っています。

②損得勘定がなかったから
いまだと最低賃金は1000円弱でしょうか?
今日はスタッフ含めて参加者が6人。6×1000円の等価交換できるものを産み出したか?と言われれば、ただしゃべっていただけ。
ただのエネルギーの無駄使い。それもダイエットできるほどの消費量はない。
ただ、自分が思っていること、感じたことを 話しただけ。
貨幣で交換しようとしたら、みんな違う金額を提示するとおもいます。 
いくらか決められないというのが良い。

そして、
全ての人の発言に共感するわけでもなかったと思います。

たとえで一つエピソードをあげると
ゴキブリが家にでた、今年は多かったという話がでました。
ゴキブリは、誰もが嫌う存在なのは重々承知していますが、
我が家では、ゴキブリを飼っていることを話しました。(動きがノロいタイプで、一般的なゴキブリではありませんが。。。)
我が家は爬虫類を多くかっているので、エサとして繁殖しています。
ゴキブリはとても丈夫で、飼いやすい。とても強いんです。

これは誰も納得も共感もしないので、
「わたしも飼いたい」と言う人は現れませんし
「絶対に飼った方が良いと」オススメもしません。
でも、世の中には、99人が嫌いでも1人は好きだという変人がいる。
その変人が目の前にいて、顔を見てしまって、仲間として話している。

これが③番目の「人同士が集まった」ということ。
違うの意見を受け入れて採用するのではなく
仲間意識をもったもの同士が、持っている違いを違いと認めながら、それを大風呂敷で包んでいくようなことが出来るのは
人同士が集まって、顔をみて、言葉を重ねていくことで出来ていくのかと思っています。

わたしは、人が好きではありませんが、
人としての感情や共感や同情など「人臭い」ものに惹かれていもいます。

どっかのお医者さんが一番痛そうな症状は「陣痛」と言っていました。
わたしは、陣痛は経験していませんが、子どもを産むたびに
お医者さんに「死ぬかもしれないよ」と言われてきました。
そういわれも、死ぬかもしれない自分の状態を自然に受け入れてたりしました。
子どもがお腹の中にいることを引き受けたときから、死ぬリスクが高まったことを感じていたように思います。

自分の命を投げうって、誰かのために死ぬという選択。
コスパもリスクヘッジもヘッタくれもない
それを引き受けてきた「わたしたちの母たち」は
非合理で人間らしかった。そのおかげでここに存在してんのね、わたしと思うんです。

今日のお茶会は世界がどうであれ「人の集まり」だと思った。

そんなことが垣間見えたので
「今日のお茶会が楽しかった」のです。
きっと伝わらないとおもいますが、そういう理由で楽しかったです。

よかったら、顔を付け合わせてお話しませんか?
お待ちしてます。


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