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焼肉を動物的に食べる家族

食卓には、家族のコミュニケーションが色濃く表れるというが、それは本当だろうか。

先日、夫のご両親においしい焼肉に連れていってもらった。

義理のご両親と夫と私の4人で行ったのだが、運ばれてくる肉は1人前につき5枚。ひとまず5枚焼いてしまって、その都度誰が食べるか決めることになった。

1人1枚ずつ食べ、余った1枚を「これ食べたい?」と聞かれて、非常に困った。本心を言うなら、「どっちでもいい」のだが、そう答えてはお義母さんも困るだろう。おいしかったけど、もらってもいいものだろうか。でも、お義父さんがおいしいって言っていたから譲るべきか。まずい、早く返事しなきゃ……。

そこまで気を遣わなくても、少しでも食べたかったら「はい、いただきます」、食べたくなかったら「いえ、大丈夫です」と正直に答えていいことはわかっている。なぜつまらないことで考えすぎてしまうのだろう?と思ったのだが、よく考えたら実家では「食事中に肉を譲り合うこと」などしないからだと気づいた。

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私の姉は自閉症という精神障害を持っているため、家族で外食するとなると行く場所が限られる。障害をよく知らない人からすると、「普通の人と同じものが食べられないってこと?」「車いすだからってこと?」みたいに聞かれるが、そうではない。何でも食べるし、人並み以上に健脚だ。

姉の障害はこだわりが強く、「外食」となるといつも同じお店でなければ気が済まず、癇癪を起して(泣き出して)しまう。そのため実家では、20年以上お決まりの近所のハンバーグ屋さんで外食をしていた。それに長居すると飽きてしまうから、食事を終えればそそくさと帰宅するのが常だった。

都会のおしゃれな焼肉屋に行って、「この部位は珍しい」だの「この肉は固い」だのと一枚ずつ味わって食べることはない。20年以上ほぼ同じメニューを頼み、「そうだね、こういう味だね」と確かめるだけだ。

唯一、焼肉らしきものを食べるとしたら、北海道に帰省した時に食べるジンギスカンだ。実家は東京だが、北海道に親戚が住んでいるため、数年に一度足を運ぶことがあった。

ジンギスカンの食べ方をご存知だろうか。まず、山状になった鉄板にドサドサと野菜を並べてこげない程度にほっておく。何となく焼けたら、野菜を下に寄せ、山の頭頂部付近に肉の薄切りをドサドサと載せる。

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状況をお伝えすると、鉄板の面積に対して載せているものが多い。だから、自分の食べる肉を決めたら、野菜をどかして鉄板と肉を触れ合わせる。そして肉の色を赤から白に変え、変わった瞬間酸っぱめのタレにつけて口に運ぶと……うまい。

ジンギスカン鍋を目の前にした我々家族は肉食動物と化す。みんな自分の食べる肉に精一杯だから、遠慮なんてしないし、人のことなんてほぼ考えない。

障害のある姉が生で食べてしまうことを心配し、姉の文は父が焼いてあげていた。父はいつも、私から見て山(鉄板)の反対側に座っていた。そのためどうやって焼いているかはわからないが、父は焼くのが早いし、食べるのが早い。何なら姉も食べるのが早いので、肉の3/4いや4/5は父と姉で食べているようなものだ。

東京からきた観光客が、律儀にお肉を1枚ずつ焼いているのを横目に父は「わかってないな」と言ったが、何様なんだ。

あっという間に食べた父が「もう限界だぁ、(長居すると飽きちゃうから)そろそろ帰るか」みたいなことを言うと、母が「ちょっと待ってよ、まだ全然食べてないんだからぁ」と割と本気で怒る。

そう、母はよく言えばおっとり、悪く言えばぼーっとしている人なので、焼くのも食べるのも遅い。肉を夢中で食べる父も父だし、肉のことでいい年して本気で怒る母も母だ。

ついでに私自身も自分が食べるので精いっぱい。機嫌悪くなったのを見て、ようやく母があまり食べていないことに気づき、「ほら、お母さん食べなよ」と母の皿に焼けた肉を載せ、「私は食べるから、まだ注文しても大丈夫だよ」とご機嫌を取る……。一体どんな家族だ。

wikipediaによると、ライオンだってシマウマの肉を分け合うらしい。なのに、なぜ我々は羊の肉を上手に分け合えないのだろうか。

無遠慮という意味ではとても気楽なのだが、そんな風に手を動かさなければ肉にありつけない環境にいたのだから、人間界に来て「これ食べますか?」と聞かれると動揺してしまうわけだ。「ワ、ケ、ア、ウ……?」みたいな感じだ。

どっちが良いとか悪いとかじゃない。でも、愛すべき肉食家族のことを思い出すと笑けてきた。

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