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過渡期に文句を言うこと

物事の過渡期には「文句を言う・言われる」がつきものだ。
針のむしろだ。



一般に動くものには転倒のリスクがある。
動くもの、動いている状態、
つまり変化の途中の状態は不安定だ。

ある安定した状況から変化して次の安定した状況に落ち着くまで、
間の期間は過渡期になる。

人の気持ちも行いも、
集団の構成も目標とする形も、

現状から変化してより良くなろうとすると、
過渡期は避けられない。

問題は過渡期の長さだ。

求める変化の難易度や変化のためにかけた準備の量によるだろうが、
過渡期をスッと通過できることもあれば紆余曲折を経ることもあろう。

そんな不安定な過渡期にはトラブルが伴う。

まずそもそも慣れていない、
上手くオペレーションできない、
新しいマニュアル周知が不足している、
作業時間がかかり一時的に生産性が下がる、…など。


トラブルの中で不安が生まれるのは人間の弱い部分。

前の方が良かった、
この方針で合ってるのか?、
新しくすりゃいいってもんじゃないんだよ、
こんなの意味ない、
難しい、
ややこしい、
システムが悪い、
上が悪い、…

不安から他責になったり文句や批判の応酬となったり。

個人ならメンタルが不安定になるかも知れない。
集団なら不和が生まれるかも知れない。


でも分かっておかないといけない。
過渡期はそもそも不安定なものだ。

元々同じ目標を共有できている個人や集団なら、
不和が生まれたとしても
「そもそも何を目指していたんだっけ?」を思い出さないといけない。

同志で文句言い合ってる場合じゃない。
ゴールに向けて走っていることは一緒。

次の安定した状況にたどり着くまで、
どうすればより良くなるかに目を向けよう。
みんな頑張って変わってる途中なのに、
変化の機運をぶち壊す文句はあかん。言うてる場合じゃない。

この不安はみんなが等しく持ち合わせている、
そしてそれを承知の上で今乗り越えようとしている。

一緒に波に乗ろう。

ここまでは文句を言う側に必要な態度。



ここからは文句を言われる側の態度。

文句を言われるのは仕方ないと心得る。
文句は出る。
文句はつきもの。

みんな変化に不安で、でも理性保って今重要なことに目を向けている。
そんな中で多少文句のひとつやふたつがこぼれ出てきても仕方ない。

過渡期には文句が出てしかるべきものと心得る。


過渡期には文句はつきものやけど、
言うたらあかんし、
一方で言われるのは仕方ないから、
嫌だけど甘んじて受けなあかん。

無い状態が望ましいし有っても普通。

過渡期には文句。


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#また理屈ばっかりこねて