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自分は一体何なのか

はっきりとした精神疾患があるわけではない。無断欠勤をする気概のない、中途半端な給与労働者。一応社会に適応しているようで、物や事を知っている素振りで過ごしていて、本当は何も知らない。というか、何も分かっていない。うわべだけ捉えて、生活の本質を視ていない。一度指摘されたことをやり過ごし、やり過ごした風に見せておいて、ただ煙に巻いただけで火種は消しきれずに残しており、数年越しに発覚し、結局そら見たことか何も分かってなかったんだろう、と、自分なりに苦労や困難を乗り越えたつもりの数年間が、実は成長どころか停滞の数年間だったことを合せ鏡のように知らされる。それを知って、じゃあ自分の数年間は空白であったのかと、努力感の割に実が伴わない無為な時間であったと、双六のようにあっけなく振り出しに戻される感覚。今外に見せている顔が恥ずかしい。こんな生活力のない人間がいけしゃあしゃあと立派な社会人ぶって厚顔無恥も甚だしい。

天才とはその領域においてのみ天才なだけで、私生活は無茶苦茶だったみたいなエピソードを聞くが、じゃあ自分は天才なのかと、せめて天才であることでこの捻りつぶれそうな心が救われてくれと願えど、仮に万にひとつ天才だとして、天才が天才たる評価を受けるのは後世だから、今のこのまさに重く頚をもたげた暗鬱たる心は1ミリも救われる希望がない。

自分の心と身体はどこへ向かうのか。やっぱりただの蛋白質の個体が、心理社会的要素は排除して、神経伝達と筋骨格系の運動がただ無機質に行われているだけなのか。宇宙から見たら、アミノ酸の結合が意思や感情を持ち合わせているかなど何の意味もない、と言われることがあってもあまり直視したくない現実だったけど、現実はやっぱ現実なのか。怒りや悲しみを感じている瞬間に何の情状酌量もなく命が事切れる恐怖を想像してさらに恐怖が上塗りされるが、それすら消し去られるのか。「インターステラー」のような世界は訪れるのか。

こんな奴が顔出し実名でnote書いてTikTokで下手くそなダンスして、それで病んでるのかななんて時々自問自答するけど、ホントに病んでる人は自分で病んでるかなとかすら思わないもんだって指摘されて、じゃあ自分は該当しないのかって、せめて何かでありたいのに何でもないことが、それがまた残念に思えて、自分が当てはまりそうなカテゴリーが次々にへつられていく。

空気に顔が触れていることがもう恥ずかしい。生きるのって、僕にとったら物凄く恥ずかしい。これで時間が経ったらまるで何事もなかったように戻るもんだから、余計にたちが悪い。でもそれは治癒ではなくて心に寛解と再発を繰り返しているだけなんだ。説明が下手くそだから家族にも共有し難い。言葉にして伝える努力が足りないのかもしれない。そういわれればもうそうでしかない。何もかも投げ出したくなるけどそれすらできない。

発作です許してください。