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質の低下

人は集中力を無限に持続させられるものではない。

僕の記事はここ数日の質の低下が顕著だった。じゃあそれまでは質が良かったのかと言えば、そうでは無いけども、ここ数日は明らかな手抜き感が見てとれる。

あぁ、これは駄目だよねと自覚のあったものの、そこに向き合って軌道修正する気力を絞り出せなかったのは、シンプルに疲れていたからか。

言い訳がしたいのではないけども、集中力は有限だ。量と質を兼ね備えたアウトプッターがゴリゴリと記事を生み出し続ける例は、枚挙に暇がない。この人たちは集中力が無限なのかと。そうではない。この人たちはインプットが圧倒的なんだと思う。

時間と密度をかけて圧倒的にインプットを積み重ね続け、同時並行のインプットも怠らないからこそ、アウトプットの量と質も持続するのだろうな。

疲れていたからというのは言い訳だった。僕はシンプルに枯渇していた。

僕は枯れ泉だ。こうべを垂れて底の水溜まりをすすろうにも水がない。泥水さえない。

「体力ねぇなぁ俺は 中学んときの財産だけでやってるようなもんだもんな」

陵南戦で力尽きてポカリを開けられないミッチー
(『SLAM DUNK』)


そうだ。入れなきゃ枯れてくるのだ。

昔は入れるために寝る時間を削っていたが、もうそんなことをするつもりは毛頭ない。

入れるには時間が要るけど、給与労働者なので可処分時間が少ないなぁ。

何かを減らすか辞めるかしないと無理だな。

もっと時間が欲しいとも思うけど、ミニマリズムで考えるとそれは違う。時間も物欲の対象だ。今あるもので賄う。無いものは欲するのではなく生み出すという方のがしっくり。なんていうか、お弁当のおかずを詰める時に、一見もう埋まっていても菜箸で寄せて寄せてしたら冷凍のちくわ1切れがまだ入れられた、みたいな。限られた中でもやれることはある。

入れる時間を作るためには仕事を辞めるという本末転倒のような線(あまり世界線とは言いたくない。なんとなく)もあるけど、そのためにはお金の目処が要るから、じゃあお金のために何か別のことをしようって。堂々巡り。

自分の中で答えは決まっているのだ。今は過渡期。停滞はしていない。進んではいる。