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性別のアイデンティティはもはや世間話にはならないかも知れない

次女は生物学的に女の子、
性自認も今のところ女の子だ。

ところが
さっき、たまたまショートカットで長ズボンに草履を履いた格好で、
姉とバスケットボールで遊んでいたら。

通りすがりの散歩中の近所の高齢女性に
「男の子か?」
と声を掛けられた。

次女は落ち込んだ。



高齢女性に悪気はないことは明らかだった。
ただ楽しそうに家の前で遊んでいる近所の子どもたちに声を掛けてくれただけだ。日本中どこにでもある光景だ。
しかしこの高齢女性の見てきた時代の女の子・男の子のような、見た目にも雰囲気にもスパッと分類できる性別のアイデンティティは、もはやなくなっているんじゃないか。少なくとも、見た目を会話の足掛かりにすることは上手くいかないことが多い。世間話としては、相手の雰囲気や服装髪型、外見上の諸々を話題にすることは、かつては定石だったかもしれないけど。

今回は、高齢女性の一言は次女本人の気持ちに影響を及ぼした。
しかしもっと小さい子、例えば公園デビューしたての子や、保育園のお迎えの帰り際、滑り台で最後のひと滑りをしようとしているような状況の子どもは、傍に親も必ずいる。そんな子どもに散歩中の高齢女性が

「男の子か?」

と声を掛けたら。

たまたま生物学的に男の子で性自認も男の子ならまだセーフ。
しかしそうじゃない場合。
子ども本人がまだその問いかけを理解していないかも知れない。
でも傍の親は?
物心つかない歳の子どもへの一言なら、むしろ傍の親の方が心象穏やかじゃないかも知れない。
子どもの全てを受け入れる覚悟の親か、ある理想のを子に望む親かによって、高齢女性の一言は影響の及ぼし方を大きく変える。

もう見た目を話題にする時じゃないのかもな。

「じゃあ何を話題にすんねん?」

怒ることじゃない。何だって話題になる。
頭を切り替えないといけない。





通りすがりの「高齢女性」すら、女性じゃないかも知れないし、
もしかしたら高齢じゃなかったかも知れない。