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死んだ後に認められるタイプの随筆家

生前は評価されず、死後に認められた歴史上の人物
日本でも世界でも結構いる。

自分が死んだ後に、自分の人柄、作品、業績が認められる。生きている間には認められなかったものが、認められる。当人にしたらどんな気持ちだろう。
想像するに余りある。

「何も言えねー」

そう漏らさずにはいられない。

当人はどうやったって知る術はない。
当人が生前どんな気持ちで(悶々と?)売れる日を待ちわびて過ごしたかは分からないけど、
もし今僕が、認められるか認められないかの瀬戸際にいるとしたら、
「生きているうちに売れたことを知っておきたい」だろうと思う。
売れたい気持ちがあるし、認められたい、チヤホヤされたい気持ちは少なからずあると思う。

今の僕の人生のフェーズはこんなところだ。

フェーズというのは、ロールプレイングゲームでいうところのレベルにあたる。
レベルが上がるごとにスキルが付き、装備が増え、仲間が増え、勇者の自覚が芽生え育ちながら、ワクワクと共に難易度も上がる。

自分の人生もそんな風にレベルが上がっていくのだとしたら、
今の僕のフェーズの価値観・考え方では
「生きているうちに売れたことを知っておきたい」と考える。

「大器晩成」というが、
どんな大器の人でも、少なくとも生きているうちに自分が何者であったかが分かって亡くなりたいという気持ちはあるんじゃないか。

僕が大器だと言ってるのではない。むしろ僕は小物だ。


しかしそれではまだ達観しきれていないというか、
邪心が捨てきれていないというか

今のままのフェーズなら僕は間違いなく売れたい邪心があると思うが、
できればもう少しフェーズが上がって、
そんなことはどうでもよくなっていることを願う。

成功したい気持ちとか認められたい気持ちとか、
そういうところを超えていきたい。
無になって、人の評価のちょっとやそっとでは動じない、
そんなフェーズに行けたら楽なんじゃないか。

…怪しい宗教の話じゃない。僕という人の話。

要は人の評価に依らず自分軸で生きていくのが、
今の社会では自分をすり減らさずに生きる方法だろうということ。

だから僕としては、
もちろん生きているうちに認められたら素直に嬉しいけど
死んだ後に一部のファンの間で静かにブームになる
―そんな随筆家になることを晩年に想像したら、面白い人生だったなぁと思えると思う。


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