見出し画像

ロン島・カンボジア、淡く透明な海と、怒っている少女

2019年8月、妻とペナン島で知り合った友人と三泊で、カンボジアのロン島へ向かいました。
KLで乗り継ぎシアヌークビル空港へ到着。
そこからの道のりが長かった…。

遠い道のり

簡単にいうと・・・
・普通の道路なら20分で着くところを1時間以上かけてタクシー
・フェリーが出ないという事態に巻き込まれシアヌークビルで一泊
・翌日、長い長い待ち時間をかけてフェリーに乗りこみ
・2時間の船酔いの末
やっとのことでロン島に到着。

シアヌークビルについては思うことがたくさんあるので、別の機会に書きたいと思っています。

そしてロン島。

画像1

ハワイやカリフォルニアなどのキーワードで連想するような真っ青な海、じりじりするアスファルトの上の熱とは違い、そこには淡くて薄くて長い雲がかかった空、しっとりしたベージュ色の砂浜、聞こえるのは風が木々を揺らす音。

ぽっかりと世間の喧騒から隔離されたような場所でした。

少し歩くだけで船酔いも忘れ、「特別なところにきた」という実感が湧いてきました。

漁師用の船がビーチの一角にたくさん停泊していることからも分かるように、ここの魚は新鮮で美味しい。
夜には各々レストランの前で魚がまるまる置かれ、客は魚と調理法と食べ方を注文できる。

画像2

前日に到着できなかったのでわずか一泊の滞在だったし、僕はコーチングの仕事が溜まっていたので、時間を見てはカフェやヴィラで仕事をしなくてはいけなかったけれど、一緒に行った友人のおかげもあり気持ちは本当に穏やかで島の雰囲気に酔いしれていました。

「パスポートを見せろ」

僕らが泊まったヴィラは、ビーチ前の通りから山側に伸びる細い小道に入り、100メートルくらい登った先にありました。

一度、ご飯を食べに行く時だったか海に泳ぎに行く時だったか忘れたけれど、ヴィラからビーチに向かう小道を降りていたら、10歳前後くらいの少女たちが4〜5人、目の前でおしゃべりをしていました。

僕はいつだってローカルの人と関わりたいと思っているし、笑顔で現地の言葉で挨拶することも心掛けている。
特にそれが子どもたちであれば、当然笑顔もいつもの数割り増しにもなる。

でも、今回はそれができなかった。

その少女の中の一人が、僕を睨みつけ怒鳴ってきたからだ。
もちろん何を言っているかは分からないけれど、僕は面食らって苦笑いで通り過ぎ、バツの悪い気持ちで小道を通り抜けた。

実は後から聞いた話で、その時僕は妻と友人が歩く先を一人で歩いていたのだけれど、僕の後に続いた彼らもその少女に怒鳴られたらしい。

そして、「Show me passport(パスポートを見せろ)!」と言われたようだった。

そのことについて3人で何かを話したりはしなかったけれど、ずっと心に引っ掛かっている。
そして今は5年来の目標だったノマドとして、思い描いていた生活ができているにも関わらず、いつもとは言わないけれど、ずっと何か虚しい思いが胸に残っている。

誰かのおかげで生きているということ

僕が旅の写真を載せるホームページを作ったことも、こうやってブログを書いていることも、この少女だけがきっかけではないし、1年間のペナン島での生活でも感じていたけれど、自分の中に疑問と責任みたいなものを決定付けた思いがある。

自由に生きることに大した価値はないのではないか。

人の役に立つことがどれだけ世界にも自分にも大切か。

そして、世界は美しいけど、どこにだって不平等はある。

僕はヘルスケアのコーチングの仕事をしているから、人のことを思って眠ることもあるし、一定の成果が出ると感謝されることもある。
海外にいながら自由に意思表現できる母国語を使って、コミュニケーションをとって人の役に立てる今の仕事は大好きだし、それを可能にしてくれる現代のテクノロジーにも感謝している。
そもそも、今のテクノロジーがなければ今の僕はありえない。

だけど・・・

僕が受けているすべての恩恵から取り残されている人たちがいる。

そして・・・

今の僕の生活は、現代技術の恩恵と、それらを享受できない彼らの生活の上に成り立っている。

話を少女に戻すけれど、シアヌークビルの街並みを見たり、タクシードライバーの話を聞いた後だと、何となくなぜ少女が僕らに怒鳴っていたのか、なぜパスポートを見せろと言ってきたのか、確証はないけれど可能性の一つとして考えられることはある。

画像3

翌日の朝、その少女が制服を着て学校に向かうところにすれ違った時、黙ってまた僕らを睨みつけていた。

次回はシアヌークビルについてのレポートをします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?