行こう。「しんどくない世界」へ
武術の稽古をする上で
「しんどいか、しんどくないか」
という判断基準は、いいかもしれない。
王向斎の言葉
「一用力便是錯(少しでも力を使ったら間違いである)」
は、こう言い換えることもできる。
「少しでもしんどければ間違いである」。
見よ、この王向斎のめっちゃ楽しそうな顔を😊
ただし、「しんどい世界」に向き合わなければ「しんどくない世界」には行けない。
「しんどい」と感じるということは、そこが「際」であるということだ。
稽古をしてない状態では、「際」を観ていない。
「際」を観てない“しんどくなさ”は、それは単に楽をしているだけであって、私の言う「しんどくない世界」ではない。
単にだらけてて“しんどくない”ことに、何の意味があろうか😅
「しんどさの際」を観に行くのだ。
その上で、「しんどい世界」に踏み込まないよう、その際ギリギリを歩んでいると、違う世界につながる新たな「際」が見つかる。
そこが「しんどくない世界」の入口だ。
ところが、近代体育・スポーツだと、ここで判断を誤ることがある。
「しんどい」ほうが正解だと思ってしまうのだ。
そちらのほうが“鍛えられる”道だと。
そっちに行ってはいけない。
そこで「しんどくない世界」を選ぶのだ。
この分かれ道は、決定的な分岐点である。
例えばこの動画で、黒田鉄山先生は人差指一本で腕相撲に勝つ離れ技を見せているが、それほどのことをしながら、黒田先生は「まったくしんどそうにしていない」ことに注目すべきだ。
黒田鉄山先生は、間違いなく「しんどくない世界」の住人だった。
「しんどくない世界」をめざすべきだというのは、判断基準としてわかりやすいのではないかと思うのだが、どうだろうか。
行こう。しんどくない世界へ。